小春(国木田独歩)のあらすじ・登場人物
人の一生にも小春がある
- 心理
- 文字数
- 9,794字
- 読了目安
- 約20分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
- 大分県
この作品について
十一月のよく晴れた日、書斎にこもってワーズワース詩集を読み返していた「自分」は、その頁に自ら引いた青い線から、七年前に豊後の佐伯で自然にひたりきっていた日々を呼び起こされる。訪ねてきた画家志望の青年・小山と郊外を歩きながら、人の一生を四季になぞらえるなら自分は「小春」だろうかと考える——国木田独歩が、失われた青春の熱を静かな秋の光のなかに置き直した短編。
あらすじ
十一月某日、「自分」は朝から書斎にこもってワーズワース詩集を読んでいた。八年前に手に入れたその一冊は、この一、二年は書架の隅で埃をかぶり、かつて胸を貫いた一句一節も、いまはもう自分を動かす力を失っている。「われは老熟せり」と誇り顔にいう自分に、詩集は『人は歳月の谷間へと下る』の一行を突きつける。……小春日和の晴れた空気のなかで詩を読み返すうち、自分は「五年は経過せり」で始まるティンターン・アベイの一編に行き当たり、思わず「七年は経過せり」とつぶやく。もっとも熱心にワーズワースを読んだのは、田舎教師として豊後の佐伯にいた一年間だった。教師というよりは、詩に導かれて自然を学ぶ生徒であったあの日々。当時の日記を取り出して拾い読みしていると、画家を志す同郷の青年・小山が訪ねてくる。写生に出ようという彼を伴って郊外へ出ると、櫨の紅葉が浜風ならぬ武蔵野の風に閃き、国境の連山がかすかに見える。壊れかけた橋を描きはじめた小山を木立の隙間から眺め、楢の枯れ葉の擦れる音に身をまかせているうち、自分は三、四年前まで胸に響いていた調べに再び触れたような心地がする。そのとき小山が、むこうを向いたまま突然たずねた。人の一生を四季にたとえるなら、小春は幾つごろにあたるのでしょう、と。
登場人物
- 自分 ワーズワースを愛読し、みずから「老熟先生」と称する男
- 小山 画家を志す同郷の青年。自分を「兄さん」と呼ぶ
冒頭部(原文より)
十一月某日、自分は朝から書斎にこもって書見をしていた。その書はウォーズウォルス詩集である、この詩集一冊は自分に取りて容易ならぬ関係があるので。これを手に入れたはすでに八年前のこと、忘れもせぬ九月二十一日の夜であった。ああ八年の歳月! 憶えば夢のようである。 ことにこの一、二年はこの詩集すら、わずかに二、三十巻しかないわが蔵書中にあってもはなはだしく冷遇せられ、架上最も塵深き一隅に放擲せられていた。
「小春」国木田独歩(青空文庫)
末尾部(原文より)
『僕のようなのが小春だろう!』と自分は何心なく答えて、そしてわれ知らず、未だかつて経験した事のない哀情が胸を衝いて起こった。 『君が春なら僕は小春サ、小春サ、いまに冬が来るだろうよ!』 『ハハハハハ冬が過ぎればまた春になりますからねエ』と小山はさも軽々と答えた。 四囲は再びひっそりとなった。小山は口笛を吹きながら描いている。自分は思った、むしろこの二人が意味ある画題ではないかと。
「小春」国木田独歩(青空文庫)
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