工場の窓より(葉山嘉樹)のあらすじ・登場人物
兄弟よと工場から呼びかける
- 社会
- 文字数
- 5,569字
- 読了目安
- 約11分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
1921年(大正10年)6月、名古屋のセメント工場で働きながら労働運動に加わっていた頃に書かれた、葉山嘉樹のごく初期の文章。「兄弟よ!」と同じ工場の仲間に呼びかける形をとり、労働災害で死んだ仲間とその遺族に支払われる四百円のこと、算盤玉のように扱われる自分たちのことを訴える。のちのプロレタリア作家としての姿勢とは異なり、無抵抗主義と「神の国」の到来を説くキリスト教的な色が濃い。作家の出発点を知るうえで興味深い一編。
あらすじ
「兄弟よ! もう眼を覚さなければならない。午前五時だ」——工場へ出る仲間への呼びかけから始まる。ここ幾日かのあいだに多くの負傷者と一人の死者が出た。足を折った仲間は治りきらない足のまま下宿へ帰され、ある技手は「酒を飲んで来て、倒れるに極つてゐるセメント袋の山の下に休んでゐやがつた」と言う。そう言えば会社は公傷として扱わずに済むからだ。五月十九日、熱灰の中に墜ちて大火傷を負った仲間は、「何分後の処をお願ひ申します」と言い残し、誰を呪うでもなく死んだ。妻と四人の子に残されたのは、工場法の規定による日給百七十日分と約百円、合わせて四百円である。続く章では、月四十円で妻と三人の子を養い、子に活動写真をせがまれれば拳骨を食わせるほかない一人の職工の独白が置かれる。十歳になるのを待ちかねて職工になる子もまた、同じ暗い運命を背負わされる。そして筆者は、労働者を沢庵漬になぞらえる。重しが重ければ重いほど互いに押し合い、汁を出す。だが樽の外には、まるで違う世界を見ている算盤やコンパスがいる。それでも彼は、資本家への反抗ではなく無抵抗主義を説き、「愛による民衆の結合」を地上にもたらす使命は労働者にこそ与えられていると述べて、主の祈りの一句で筆を擱く。
冒頭部(原文より)
一 兄弟よ! もう眼を覚さなければならない。午前五時だ。起きて工場へ働きに行かねばならぬ。さうしないと人類は物資の欠乏に苦しむから。おとなしくわれ等は待たう。今までも待つたやうに。軈て資本家達も良心を眼覚すであらうから。
「工場の窓より」葉山嘉樹(青空文庫)
末尾部(原文より)
この迷蒙を捨ることが一人でも多くなればなるほど、神の国は近づいて来るのである。 兄弟よ。悪魔のあらゆる誘惑を斥けて、神の国に進まう。われ等の体の中には、神と悪魔が同居してゐるから、神のみを見なければならぬ。 兄弟よ。神を知り、神の御名による天国を地上に齎さうではないか。 爾、国を来らせ給へ、御心の天に成る如く地にも成らせ給へ。
「工場の窓より」葉山嘉樹(青空文庫)
原文を読む
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