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万福追想(葉山嘉樹)のあらすじ・登場人物

六つの子の傷をめぐる二つの診断

  • 社会

葉山嘉樹 1938年(昭和13年)1月

文字数
10,284字
読了目安
約21分
表記
新字旧仮名
種別
小説
舞台
  • 長野県

この作品について

1938年(昭和13年)初めに書かれた晩年の短編。葉山嘉樹自身が土方兼帳付けとして働いた、天竜川中流の峡谷の工事場が舞台である。発破の合図係を務めていた「私」の目の前で、朝鮮から渡ってきて一年に満たない六つの子・万福が飛石を額に受ける。傷は軽く、一週間で治ると言われたのだが——。労働者の側に立ち続けた作家が、五千人から七千人の労働者とその家族が暮らすバラック街の底を、感傷を排した目で書き留めた一編。

あらすじ

天竜川中流の峡谷。発電所と電車線路の工事のために、峡谷の底には五千人から七千人の労働者とその家族が暮らすバラック街ができていた。渓流ではその子供たちが薪や胡桃や栗を拾い、沢蟹を捕っている。トロッコの線路を敷くには岩盤や大玉石を発破で除かねばならず、「私」はベルを振って「ハッパだあ」と叫んで回る合図係だった。十一月中旬の麗らかな一日、太田が仕掛けた発破が浅い音を立てた直後、下流から駆けてきた子供の鼻の上に破片が当たった。太田の従弟で、内地に来て一年にもならない六つの万福である。傷は眉間の急所だったが血はすぐ止まり、医者は一週間で全快すると言った。ところが一週間後に飯場を訪ねると、父親は「怪我はもう癒りましたが、あれから、飯が食へなくなりましてなあ」と言う。半年前に落石で背中を打った父自身も足が曲がらなくなり、傷害扶助は日六十銭。組は取り合わない。暗い飯場の隅で、下ぶくれだった万福の頬は病監の囚人のようにこけていた。「私」にできたのは、豆とヒビだらけの掌でその頭を静かに撫でることだけだった。やがて万福は死んだ。棺桶の板を取りに行く道で、川原の子供たちは豚の仔や山羊の仔と遊んでいる。医者の居間では、死因は胃腸病だと言う医師と、負傷が原因だと明言した養子の医学士の診断をめぐって、父と組の側の言い争いが続いていた。

登場人物

冒頭部(原文より)

 渓流は胡桃の実や栗の実などを、出水の流れにつれて持つて来た。水の引きが早いので、それを岩の間や流木の根に残して行く。  工事場の子供たちは、薪木にする為に、晒されて骨のやうになつた流木や、自分たちのお八つにする為に、胡桃や栗の実を拾ひ集めるのだつた。

「万福追想」葉山嘉樹(青空文庫)

末尾部(原文より)

 なか/\話は片づかなかつた。  何故かと云へば、医師の診断は、死因が胃腸病にあつて、負傷にはなかつたが、その医師の留守に、養子の医学士が診断した時には負傷が原因で神経系統を害した、と明言したのであつた。  前者の診断は患者に都合が悪くて、会社や組には都合が良かつた。後者の診断はその逆であつた。  私は悲しい一つの死を繞つて、二つの立場があることを教へられた。

「万福追想」葉山嘉樹(青空文庫)

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