待っている女(山川方夫)のあらすじ・登場人物
十二時間立ちつづける女
- 心理
- 恋愛
- 文字数
- 6,120字
- 読了目安
- 約12分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
妻と喧嘩をした寒い日曜日、彼は煙草屋の前の四辻に立ちつくしている若い女に気づく——山川方夫が「ヒッチコック・マガジン」の連作「親しい友人たち」に書いた一編。二時間、六時間、そして十二時間。真冬の路上で誰かを待ちつづける美しい女の「不幸」に、彼はいてもたってもいられなくなる。他人の孤独へ手をのばすことの滑稽さと痛みを、静かに突きつける短編。
あらすじ
せっかくの日曜日に妻とちょっとした喧嘩をし、妻は仕度をして出て行ってしまった。昼近く目をさました彼は、煙草屋の赤電話でソバ屋を呼び、そこで金網の塀に手をかけて立つ女を見た。脚の美しい、焦茶色の外套の若い女。煙草屋の小母さんが声をひそめる。「ああして、もう二時間も前から、ずっとあそこに立っているのよ」。……下宿の便所の窓からは、その四辻がまっすぐに見下ろせた。一時間後、女はまだそこにいた。靴先で道に線を引き、大きな欠伸をし、小刻みに環を描いて歩く。底冷えのする曇り日だった。三時をまわり、四時半になっても女は動かない。彼は幾度も表に出て女に近づきかけては、なにもいえずに『憩』の箱ばかり増やしてかえってきた。彼は認めたくなかったのだ。あの若く美しい女が、恋人にすっぽかされて冬の四辻で待ちぼうけをくらっている哀れな女なのだと。夕闇のなか、意を決して走り寄った彼が見たのは、道にかがんで硬いトップ・ボールで鞠つきをし、低い声で歌をうたっている女だった。「返して下さい」「……どなたかを、待っているんですか?」「いま来ますわ」。奪うようにボールを取り返した女の姿勢は、あきらかに彼を拒み、無視していた。燃え上がるような羞恥に、彼は下宿へ走って帰る。九時をすぎても女は同じ場所にいた。——十一時、妻が帰ってきた。煙草屋の前には誰もいなかったという。実家へ行ったのだろうと問う彼に、妻は答える。今日は東京の端の公園で、一日中ひとりで立っていたのだと。
登場人物
- 彼 下宿住まいの若い夫
- 妻 その朝、喧嘩をして出て行った
- 女 四辻に立ちつづける焦茶色の外套の若い女
冒頭部(原文より)
寒い日だった。その朝、彼は妻とちょっとした喧嘩をした。せっかくの日曜日なので、彼がゆっくりと眠りたいのに、妻はガミガミと彼の月給についての文句をいい、枕をほうりなげて、挙句のはて、手ばやく外出の仕度をして部屋から出て行ってしまったのだ。 蒲団に首をうずめたまま、彼は、またか、と思った。また半日も帰らないのだろう。近ごろ、妻はよくこの手を使う。どうせ実家にでも行き、思うさまおれの悪口をならべてくるのにきまっている。が、それで彼女の気がすむなら、それもよかろう。
「待っている女」山川方夫(青空文庫)
末尾部(原文より)
黙ったまま、彼は妻の膝に手をのばした。妻は自分から抱かれてきた。その頬がひどく冷たいのに、妻は焦れるように、すぐに喘ぐ呼吸になった。突然、彼はその妻への愛、三年まえ、はじめて唇を吸いあった日の傷口のような記憶が、するどく胸をつらぬくのを感じとった。それは、遠い、遥かな、しかし今日、彼が感じつづけていたそれと同じ疼きだった。それを、彼は思い出した。 道を、自動車の爆音が走り過ぎる。一瞬、あの脚の美しい焦茶色の外套の女の姿が、閃くように彼の目に浮んだ。彼にはふと、あの若い女は、彼の心が生んだ幻影だったような気がしてきた。……だが、彼はそれを払いのけるように首を振って、まだ冷えた冬の外気の匂いがする妻の身体を抱く両手に、力をこめていった。
「待っている女」山川方夫(青空文庫)
原文を読む
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