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醜い家鴨の子(アンデルセン)のあらすじ・登場人物

疎まれた家鴨の子の冬と春

  • 幻想
  • 翻訳

アンデルセン 訳者 菊池寛 1928年(昭和3年)8月

文字数
10,359字
読了目安
約21分
表記
新字新仮名

この作品について

ひとり大きく灰色で、兄弟からも母からも疎まれた家鴨の子が、厳しい冬を越えてゆくアンデルセンの代表作。菊池寛の訳で、子ども向けの平易な言葉というより、大人の読み物としての息の長い文章に移されている。作者自身の生い立ちを重ねた物語として読まれてきた一篇であり、「みにくいアヒルの子」は今日、遅れて花ひらく者を指す言い回しとして日本語に定着している。

あらすじ

夏の日ざしのなか、牛蒡の葉のしげる古い百姓家のそばで、一羽の家鴨が卵を抱いていた。次々と殻が破れるなかで、いちばん大きな卵だけがなかなかかえらない。ようやく出てきた子は、ほかの兄弟とちがって灰色で、大きくて不格好だった。家鴨の庭でも、あひるやめん鳥からつつかれ笑われ、母親にまで「いっそどこかへ行ってしまえばいい」と言われて、子は逃げ出す。野がもの沼では猟銃の音におびえ、大きな犬に見のがされ、老婆の小屋ではめん鳥と猫に「卵も産めず、のども鳴らせないくせに」となじられる。秋、夕空を渡ってゆく白い大きな鳥の群れを見て胸が苦しくなるが、それが何という鳥かも知らない。やがて厳しい冬が来て、氷に閉じこめられかけたところを百姓に助けられ、また逃げ、葦のしげみで凍えながら生きのびる。春、水の上に降り立った三羽の白鳥に近づいて「いっそ殺してもらおう」と首を垂れたとき、水にうつっていたのは灰色の醜い鳥ではなく、一羽の美しい白鳥だった。

登場人物

冒頭部(原文より)

それは田舎の夏のいいお天気の日の事でした。もう黄金色になった小麦や、まだ青い燕麦や、牧場に積み上げられた乾草堆など、みんなきれいな眺めに見える日でした。こうのとりは長い赤い脚で歩きまわりながら、母親から教わった妙な言葉でお喋りをしていました。  麦畑と牧場とは大きな森に囲まれ、その真ん中が深い水溜りになっています。全く、こういう田舎を散歩するのは愉快な事でした。  その中でも殊に日当りのいい場所に、川近く、気持のいい古い百姓家が立っていました。そしてその家からずっと水際の辺りまで、大きな牛蒡の葉が茂っているのです。それは実際ずいぶん丈が高くて、その一番高いのなどは、下に子供がそっくり隠れる事が出来るくらいでした。

「醜い家鴨の子」アンデルセン(青空文庫)

末尾部(原文より)

若い白鳥はもうまったく気まりが悪くなって、翼の下に頭を隠してしまいました。彼には一体どうしていいのか分らなかったのです。ただ、こう幸福な気持でいっぱいで、けれども、高慢な心などは塵ほども起しませんでした。  見っともないという理由で馬鹿にされた彼、それが今はどの鳥よりも美しいと云われているのではありませんか。接骨木までが、その枝をこの新しい白鳥の方に垂らし、頭の上ではお日様が輝かしく照りわたっています。新しい白鳥は羽をさらさら鳴らし、細っそりした頸を曲げて、心の底から、 「ああ僕はあの見っともない家鴨だった時、実際こんな仕合せなんか夢にも思わなかったなあ。」 と、叫ぶのでした。

「醜い家鴨の子」アンデルセン(青空文庫)

名文

それは田舎の夏のいいお天気の日の事でした。もう黄金色になった小麦や、まだ青い燕麦や、牧場に積み上げられた乾草堆など、みんなきれいな眺めに見える日でした。

『みにくいアヒルの子』の書き出し。色づいた麦畑や牧場ののどかな夏景色から、ひとつの卵をめぐる物語が始まる。

「僕は見っともなくて全く有難い事だった。犬さえ噛みつかないんだからねえ。」

猟の騒ぎのなか、猟犬に素通りされた子家鴨のつぶやき。いじめられ続けた身の悲哀を、苦い自嘲でのぞかせる。

「ああ僕はあの見っともない家鴨だった時、実際こんな仕合せなんか夢にも思わなかったなあ。」

自分が美しい白鳥だったと知った「醜い家鴨の子」の叫び。辛い冬を越えた末の喜びで物語は結ばれる。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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