猫町(萩原朔太郎)のあらすじ・登場人物
見慣れた景色の裏側へ
- 幻想
- 文字数
- 10,373字
- 読了目安
- 約21分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
1935年(昭和10年)8月、『セルパン』に発表された萩原朔太郎の小説。「散文詩風な小説」という副題を持ち、ショウペンハウエルの言葉を掲げて始まる。語り手の「私」は、どこへ行っても同じような暮らしがあるばかりだと、旅への興味を失っている。その代わりに、夢や知覚を通じて別の世界を訪れるような経験を語り始める。見慣れた道で方角が分からなくなったとき、町の眺めはどのように変わるのか。日常的な散歩や汽車の経験を例に、同じ景色にも普段とは違う見え方があることを考えてゆく。理屈を述べる随筆のような文章から、北越の温泉地に滞在する「私」の体験へと進む構成が特徴だ。磨かれた窓や濡れた舗石など、目に映る物の描写が、語り手の考える現実を支える。知っている場所と知らない場所の境を、見る者の感覚から探る一編である。
あらすじ
「私」はもはや旅というものに心を躍らせることができない。旅とは結局「同一空間における同一事物の移動」にすぎず、どこへ行っても同じような人間が同じような単調な生活を繰り返しているだけだと悟ってしまったからだ。そんな「私」がひそかな慰めとしていたのは、モルヒネやコカインの陶酔がもたらす、時間と空間の秩序をこえた別世界への旅であった。やがて薬品を絶ったのちも、「私」は日常のなかで似たような体験をする。方向の感覚を失って歩いているうちに、見慣れた風景がふいに未知の別世界へと反転してしまうのだ。ある夏、北越の温泉地に滞在していた「私」は、いつもの散歩の途中で道に迷い、方角の観念をすっかりなくしてしまう。そうして迷い出た先に、「私」は思いがけず、目のさめるように美しく、整然と調和した瀟洒な町並みを見出す。そこは今までどこにも見たことのない、夢のように典雅な町であった。ところが、その恍惚の一瞬が過ぎたとたん、町の空気は一変する。あたり一面、無数の猫、猫、猫――人間の姿をした猫たちが街路にひしめく、異様で無気味な光景へと変貌するのである。恐怖にかられて「私」は逃げ出す。人はそれを錯覚だ、妄想だと笑うだろう。だが「私」は、猫ばかりが住むその町を確かに「見た」という事実だけは、何ものにも動かしがたい絶対の真実として、今なお固く信じている。裏日本の伝説が語り伝えるその特殊な部落が、宇宙のどこかに必ず実在しているにちがいない、と。現実の秩序が一瞬にして崩れ落ちる、その裂け目にひらける幻想の恐怖を、詩人が透徹した言葉で定着させた作品である。
冒頭部(原文より)
蠅を叩きつぶしたところで、蠅の「物そのもの」は死にはしない。単に蠅の現象をつぶしたばかりだ。――ショウペンハウエル。 旅への誘いが、次第に私の空想から消えて行った。昔はただそれの表象、汽車や、汽船や、見知らぬ他国の町々やを、イメージするだけでも心が躍った。しかるに過去の経験は、旅が単なる「同一空間における同一事物の移動」にすぎないことを教えてくれた。何処へ行って見ても、同じような人間ばかり住んでおり、同じような村や町やで、同じような単調な生活を繰り返している。
「猫町」萩原朔太郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない。あらゆる多くの人々の、あらゆる嘲笑の前に立って、私は今もなお固く心に信じている。あの裏日本の伝説が口碑している特殊な部落。猫の精霊ばかりの住んでる町が、確かに宇宙の或る何所かに、必らず実在しているにちがいないということを。
「猫町」萩原朔太郎(青空文庫)
名文
猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。
迷い込んだ美しい町が、一瞬にして猫の群れに埋めつくされる場面。方向感覚の狂いがもたらす幻視を、言葉の反復によって目に見えるように描き出した一節。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。