軒もる月(樋口一葉)のあらすじ・登場人物
夜更けに待つ女の独白
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 3,620字
- 読了目安
- 約7分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
樋口一葉が1895年(明治28)4月に『毎日新聞』へ発表した短編。かつて華族の家に仕えた女性が、今は職工の妻となり、夜更けに幼子と二人で夫の帰りを待つ。その胸の内を独白の形で追い、軒端にさす月の光を背景に、揺れる心の動きを描く。
あらすじ
鍛冶の職工を良人にもつ女・袖は、我が子のためにと夜更けまで働きに出た良人を、炬燵に酒をあたためて待ちながら、破れ窓にさし入る月を眺めて物思いにふける。袖はかつて華族・桜町家の小間使いで、若い殿の寵愛を受けた身であった。今は裏屋暮らしの職工の妻となったが、殿からは幾通もの文が届き、その一通も封を切らずにいる。父母の臨終を寝ずに介抱してくれた良人の情、あどけない我が子の寝顔を思えば思うほど、殿を忘れられぬ自分が不貞の女に思われて、袖は胸を責めさいなむ。ついに袖は心を試そうと、葛籠の底に隠していた殿からの十二通の文を取り出し、一通また一通と読みふけっていく。あふれる恋しさに我を失いかけたそのとき、袖は高らかに笑い、「今ぞ別れまいらするなり」と殿への未練に別れを告げる。散らばった文を残らず寸断し、燃えさかる炭火に投じて灰にすると、「うれしや、我執着も残らざりけるよ」と晴れやかにつぶやく。軒にもる月影に、清らかな風の音が渡っていく。
登場人物
- 袖 鍛冶職人の妻。かつて華族・桜町家の小間使いとして若殿の寵愛を受けた。良人と我が子への恩愛と若殿への未練のあいだで揺れる本作の語り手
- 袖の良人 鍛冶の職工。我が子のため夜更けまで働き、袖の父母の臨終も寝ずに介抱した実直な人
- 桜町の殿 袖がかつて仕えた華族の若殿。今も袖に幾通もの文を送りつづける
冒頭部(原文より)
「我が良人は今宵も帰りのおそくおはしますよ。我が子は早く睡りしに、帰らせ給はゞ興なくや思さん。大路の霜に月氷りて、踏む足いかに冷たからん。炬燵の火もいとよし、酒もあたゝめんばかりなるを。時は今何時にか、あれ、空に聞ゆるは上野の鐘ならん。二ツ三ツ四ツ、八時か、否、九時になりけり。
「軒もる月」樋口一葉(青空文庫)
末尾部(原文より)
寸隙もる風おともなく、身に迫りくる寒さもすさまじ。来し方往く末、おもひ忘れて夢路をたどるやうなりしが、何物ぞ、俄にその空虚なる胸にひゞきたると覚しく、女子はあたりを見廻して高く笑ひぬ。その身の影を顧り見て高く笑ひぬ。「殿、我良人、我子、これや何者」とて高く笑ひぬ。目の前に散乱れたる文をあげて、「やよ殿、今ぞ別れまいらするなり」とて、目元に宿れる露もなく、思ひ切りたる決心の色もなく、微笑の面に手もふるへで、一通二通八九通、残りなく寸断に為し終りて、熾んにもえ立つ炭火の中へ打込みつ打込みつ、からは灰にあとも止めず、煙りは空に棚引き消ゆるを、「うれしや、我執着も残らざりけるよ」と打眺むれば、月やもりくる軒ばに風のおと清し。
「軒もる月」樋口一葉(青空文庫)
原文を読む
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