溺れかけた兄妹(有島武郎)のあらすじ・登場人物
波に呑まれた日の利己心
- 心理
- 文字数
- 6,429字
- 読了目安
- 約13分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
有島武郎が1921年(大正10年)、「婦人公論」に発表した短編小説。海水浴に行った「私」と友達のM、そして幼い妹が、土用波にさらわれて溺れかける少年の日の出来事を、痛切な悔恨とともに回想する。波のなかで幼い「私」の胸に去来した思いを、有島が誠実な筆でみつめた自伝的な一編である。
あらすじ
土用波が打ち寄せる九月の初め、海水浴に来ていた都の人々はみな別荘をしめて帰り、砂浜には人っ子一人いなかった。「私」(十三)は、友達のM(十四)と幼い妹(十一)とともに、波が荒くなるから行くなというお婆様の言葉を聞かず、名残の海水浴に出かける。三人は土用波の危険も忘れて「波越し」の遊びに夢中になるが、やがて途方もない大波にさらわれ、気づけば足の届かぬ沖へと流されてしまう。泳ぎに慣れたMはともかく、「私」も妹もろくに泳げない。三人は離ればなれになり、沈みかけた妹は「兄さん来てよ……もう沈む……苦しい」と、あらん限りの声で「私」を呼ぶ。「私」の心は妹に引かれながらも――こうなると、自分の命が助かりたかった。妹の所へ行けば二人とも流されて助からないと知れきっていたからだ。「私」は後ろも向かず無我夢中で岸へ泳ぎ、ようやくたどり着くと、泣きながら気狂いのように砂浜を駆けずり回って助けを求める。やがてMが通りがかりの若者を連れてきて、若者は帯を解いてざぶりと海へ飛びこみ、妹を救ってくれた。難を逃れたあと、日ごろやさしいお婆様は、きっとなって「私」を叱った。少しでも自分一人が助かりたいと思った「私」は、身も心もすくんでしまう――。それから歳月が流れ、お婆様もMももうこの世になく、妹と「私」ばかりが生き残った。その時の話をするたび、妹は「あの時ばかりは兄さんを心から恨めしく思った」と今もいう。幼い日の利己心と、消えぬ罪の意識を、有島が誠実な筆でみつめた自伝的な一編である。
登場人物
- 私 十三歳の少年。土用波に溺れかけた妹を前に、自分一人が助かりたいと願ってしまい、生涯消えぬ罪の意識を負う
- 妹 十一歳。沖へ流されて沈みかけ、「兄さん来てよ」と「私」に助けを求める
- M 十四歳の友達。泳ぎに慣れており、通りがかりの若者を連れてきて妹を救わせる
- お婆様 日ごろやさしいが、自分だけ助かろうとした「私」をきっと叱る祖母
冒頭部(原文より)
土用波という高い波が風もないのに海岸に打寄せる頃になると、海水浴に来ている都の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい何所から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所にも人っ子一人いませんでした。 私の友達のMと私と妹とはお名残だといって海水浴にゆくことにしました。
「溺れかけた兄妹」有島武郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
お婆様はやがてきっとなって私を前にすえてこう仰有いました。日頃はやさしいお婆様でしたが、その時の言葉には私は身も心もすくんでしまいました。少しの間でも自分一人が助かりたいと思った私は、心の中をそこら中から針でつかれるようでした。私は泣くにも泣かれないでかたくなったままこちんとお婆様の前に下を向いて坐りつづけていました。しんしんと暑い日が縁の向うの砂に照りつけていました。 それから五、六年の間はその若者のいる所は知れていましたが、今は何処にどうしているのかわかりません。私たちのいいお婆様はもうこの世にはおいでになりません。私の友達のMは妙なことから人に殺されて死んでしまいました。妹と私ばかりが今でも生き残っています。その時の話を妹にするたんびに、あの時ばかりは兄さんを心から恨めしく思ったと妹はいつでもいいます。波が高まると妹の姿が見えなくなったその時の事を思うと、今でも私の胸は動悸がして、空恐ろしい気持ちになります。
「溺れかけた兄妹」有島武郎(青空文庫)
原文を読む
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