百物語(森鴎外)のあらすじ・登場人物
生れながらの傍観者
- 心理
- 文字数
- 12,548字
- 読了目安
- 約25分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
川開きの夜、今紀文と呼ばれる豪遊家・飾磨屋が寺島村の別荘で催した百物語の会に招かれた「僕」の一夕を描く。蝋燭を百本立てて化物の話をするはずの集まりでありながら、怪談はついに語られず、僕が見つめるのは、沈鬱な顔で客を眺める主人と、その傍らに寄り添う美しい芸者の姿である。自らを「生れながらの傍観者」と規定する語り手が、同じ傍観者を主人のなかに見いだしてゆく。怪異を期待させる題名とは裏腹に、人間観察そのものを主題にした鴎外の異色作。
あらすじ
「僕」は写真を道楽にする蔀君に誘われ、川開きの日に催される百物語の会へ出かける。柳橋の船宿には知らない顔ばかりが詰めかけ、誰もが手持ち無沙汰に座っている。屋根船を連ねて隅田川をさかのぼり、寺島村の古びた別荘に着くと、生垣の陰には寄席の怪談師が使うような出来合いの幽霊が立ててあり、僕はいささか馬鹿にされたような気がする。座敷にはすでに二十人以上の客がいたが、どの顔にも緊張や好奇心の色はない。そのなかでひとり、周囲を空席にして座っているのが、この催しの主人・飾磨屋であった。豪遊ぶりが新聞の三面を賑わす男でありながら、蒼い顔をして正面を見据えたまま動かない。傍らには東京で最も美しい芸者と評判の太郎が、退屈な顔も見せずに寄り添い、時おり主人の機嫌を窺っている。僕にはその姿が、病人と看護婦のように見えてならない。鮓を盛った盥や閼伽桶めいた手桶が運ばれ、趣向だけは念入りだが座はいっこうに湧かない。僕は飾磨屋を眺めながら、自分が子供のころからどんな渦中にも身を投じられない「生れながらの傍観者」であることを思い、この主人もまた何かの無形の創痍を負って傍観者になったのではないかと推し量る。破産の噂まで立つ男になお寄り添う太郎の犠牲の大きさにも考えが及ぶ。怪談の始まらないうちに、僕は黙って屋敷を出た。数日後、蔀君から、あのあと主人が太郎を連れて二階で寝てしまったと聞かされ、僕は傍観者というものはやはり多少人を馬鹿にしているのだと思うのだった。
登場人物
- 僕 自分を「生れながらの傍観者」と考えている語り手
- 蔀君 写真を道楽にする下町の若旦那。僕を百物語へ誘う
- 飾磨屋 今紀文と呼ばれる豪遊家。百物語の主人で、沈鬱な顔つきをしている
- 太郎 東京で最も美しいと評判の芸者。飾磨屋に付き添う
- 依田学海 船宿で顔を合わせる老文人
冒頭部(原文より)
何か事情があって、川開きが暑中を過ぎた後に延びた年の当日であったかと思う。余程年も立っているので、記憶が稍おぼろげになってはいるが又却てそれが為めに、或る廉々がアクサンチュエエせられて、翳んだ、濁った、しかも強い色に彩られて、古びた想像のしまってある、僕の脳髄の物置の隅に転がっている。 勿論生れて始ての事であったが、これから後も先ずそんな事は無さそうだから、生涯に只一度の出来事に出くわしたのだと云って好かろう。それは僕が百物語の催しに行った事である。
「百物語」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
改まって主人に暇乞をしなくてはならないような席でもなし、集まった客の中には、外に知人もなかったのを幸に、僕は黙って起って、舟から出るとき取り換えられた、歯の斜に耗らされた古下駄を穿いて、ぶらりとこの怪物屋敷を出た。少し目の慣れるまで、歩き艱んだ夕闇の田圃道には、道端の草の蔭でが微かに鳴き出していた。 二三日立ってから蔀君に逢ったので、「あれからどうしました」と僕が聞いたら、蔀君がこう云った。「あなたのお帰りになったのは、丁度好い引上時でしたよ。暫く談を聞いているうちに、飾磨屋さんがいなくなったので聞いて見ると、太郎を連れて二階へ上がって、蚊屋を吊らせて寐たと云うじゃありませんか。失礼な事をしても構わないと云うような人ではないのですが、無頓着なので、そんな事をもするのですね」と云った。 傍観者と云うものは、やはり多少人を馬鹿にしているに極まっていはしないかと僕は思った。
「百物語」森鴎外(青空文庫)
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