押絵と旅する男(江戸川乱歩)のあらすじ・登場人物
薄闇の汽車で出会った奇妙な額
- 幻想
- 怪奇
- 文字数
- 17,416字
- 読了目安
- 約35分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 富山県
- 東京都
この作品について
1929年6月、「新青年」に発表された江戸川乱歩の幻想小説。魚津へ蜃気楼を見に出かけた帰り、「私」は人気のない汽車で、額を大切そうに扱う奇妙な男と乗り合わせる。額の表を窓の外に向ける仕草と、ちらりと見えた極彩色の絵が、語り手の注意を引きつける。冒頭から、この記憶は夢や幻ではなかったかという疑いが添えられ、出来事を確かな現実として受け取る足場は揺れている。海と空の境を曖昧にする蜃気楼、明暗の移り変わる車窓、古風な服装と若さも老いも感じさせる男の姿。物の見え方を丹念に記す文章が、日常の旅をいつしか異界への入口に変えてゆく。謎めいた額の由来を知りたくなる興味と、目に映るものを信じきれない不安が並走する一編。鮮烈な色彩と閉ざされた車内の静けさによって、奇妙な話を聞く場そのものが強い印象を残す。
あらすじ
魚津へ蜃気楼を見に行った帰り、乗客もまばらな薄暗い二等車で「私」と乗り合わせたのは、黒い風呂敷に包んだ額を大切そうに携えた、古風な洋服の老人だった。額は歌舞伎の御殿を背景に、白髪の老人と十七、八の結綿の美少女の押絵をはめたもので、二人の姿は生きているとしか思えぬほど生々しい。老人は問わず語りに話し始める。押絵の老人は自分の兄である、と。老人の話では、明治28年、兄は浅草十二階の頂上から遠眼鏡で覗いた美しい娘に恋い焦がれ、探し当てた相手は、覗きからくりの中の八百屋お七の押絵だった。思い詰めた兄は、弟に遠眼鏡を逆さに構えて自分を覗くよう頼み、みるみる一尺ばかりに縮んで押絵の世界へ入り、お七の隣に納まってしまったという。以来、兄は押絵の中で娘と暮らしているが、作り物の娘は年を取らず、兄だけが白髪の老人になっていく——。語り終えた老人は、山間の小駅で額を抱えて降り、背後の闇に溶け込むように消えていった。
登場人物
- 私 魚津の帰りの汽車で老人と乗り合わせる語り手
- 老人 押絵の額とともに旅をする男。押絵の老人の弟
- 兄(押絵の老人) 遠眼鏡で覗いた娘に恋し、押絵の世界に入った男
- お七 押絵の美少女。覗きからくりの八百屋お七
冒頭部(原文より)
この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったならば、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに相違ない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違った別の世界を、チラリと覗かせてくれる様に、又狂人が、我々の全く感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野の外にある、別の世界の一隅を、ふと隙見したのであったかも知れない。
「押絵と旅する男」江戸川乱歩(青空文庫)
末尾部(原文より)
「ではお先へ、私は一晩ここの親戚へ泊りますので」 老人は額の包みを抱てヒョイと立上り、そんな挨拶を残して、車の外へ出て行ったが、窓から見ていると、細長い老人の後姿は(それが何と押絵の老人そのままの姿であったか)簡略な柵の所で、駅員に切符を渡したかと見ると、そのまま、背後の闇の中へ溶け込む様に消えて行ったのである。
「押絵と旅する男」江戸川乱歩(青空文庫)
名文
この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったならば、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに相違ない。
語り出しから夢と狂気の境を宙づりにする導入。蜃気楼の帰りの汽車で出会った男と、押絵の中に生きる恋人の物語が始まる。
原文を読む
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