紫紺染について(宮沢賢治)のあらすじ・登場人物
山男を招く紫紺染の宴
- 幻想
- 風刺
- 文字数
- 4,675字
- 読了目安
- 約9分
- 表記
- 新字新仮名
- 舞台
- 岩手県
この作品について
盛岡の特産品だった紫紺染の復興をめぐる騒ぎを、昔の記録から現れた「山男」の登場でひねった、賢治流のユーモア童話。語り手は寄席の話芸のような調子で「みなさん」と呼びかける。『山男の四月』と同じ西根山の山男が登場し、実在の地名や町の人々の事情と、異界の住人とが滑稽に出会う。方言と土地への親しみが、賢治の童話の別の顔を見せてくれる作品。
あらすじ
盛岡の紫紺染は、明治以降アニリン染料におされてすたれていたが、近ごろまた脚光を浴び、東京大博覧会で二等賞を取るまでになった。ここまでは新聞に出ていたが、役人たちの苦心はそれ以上だった。工芸学校の先生が古い記録を調べると、山男が紫紺の根を売って酒を買った一件が見つかる。紫紺の先輩は今では山男だけというわけで、先生は西根山の山男へ宛てて上手な招待状を書き、内丸西洋軒で招待会を開くことにする。やがて当日、研究会の二十四人が緊張して待つなか、人力車で山男が到着する。桔梗の紋の夜具をまとった山男は、車賃のやりとりから座の話題までひときわ風変わりな客ぶりをみせ、会は賑やかに進む。話は、紫紺染が博覧会で賞を取るまでにはこんな苦心もあった、という体で結ばれる。
冒頭部(原文より)
盛岡の産物のなかに、紫紺染というものがあります。 これは、紫紺という桔梗によく似た草の根を、灰で煮出して染めるのです。 南部の紫紺染は、昔は大へん名高いものだったそうですが、明治になってからは、西洋からやすいアニリン色素がどんどんはいって来ましたので、一向はやらなくなってしまいました。それが、ごくちかごろ、またさわぎ出されました。けれどもなにぶん、しばらくすたれていたものですから、製法も染方も一向わかりませんでした。そこで県工業会の役員たちや、工芸学校の先生は、それについていろいろしらべました。そしてとうとう、すっかり昔のようないいものが出来るようになって、東京大博覧会へも出ましたし、二等賞も取りました。ここまでは、大てい誰でも知っています。新聞にも毎日出ていました。
「紫紺染について」宮沢賢治(青空文庫)
末尾部(原文より)
みんなが見送ろうとあとをついて玄関まで行ったときは山男はもう居ませんでした。 丁度七つの森の一番はじめの森に片脚をかけたところだったのです。 さて紫紺染が東京大博覧会で二等賞をとるまでにはこんな苦心もあったというだけのおはなしであります。
「紫紺染について」宮沢賢治(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。
同じ作家の作品
近い作品
- あし
- リップ・ヴァン・ウィンクル
- 鬼桃太郎 1891年(明治24年)10月
- 画の裡 1910年(明治43年)12月
- Mensura Zoili 1917年(大正6年)1月
- 女体 1917年(大正6年)10月