東海道五十三次(岡本かの子)のあらすじ・登場人物
旅に見つめる人の世の営み
- 心理
- 文字数
- 13,851字
- 読了目安
- 約28分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
岡本かの子が没した1938年(昭和13年)、「新日本」に発表した短編小説。かの子晩年の作である。風俗史を専攻し、昔の旅の風俗を求めて東海道に足を運ぶ「主人」と、有職故実家の父に絵を習って育った「私」。夫婦して東海道を旅しながら、幾世代にもわたって受け継がれ、また過ぎ去ってゆく人の世の営みに、静かに思いをめぐらせる。平凡な半生の底に脈うつものを見つめた、抒情ゆたかな一編である。
あらすじ
「私」の主人(夫)は、風俗史を専攻し、とりわけ昔の旅行の風俗や習慣に興味を寄せて、まだ大正の初め、一高の生徒時代から東海道に探査の足を踏み出していた。「私」は、維新の匆騒を越えて来たアマチュアの有職故実家であった父のもとで絵を習って育った娘で、絵巻物の断片を写し、兜の錣を写生することはできても、自分の独創で一枚の画を描くことはできなかった。虫食いの古い図書遺品を漁るような変わり者の青年だった主人は、やがて「私」の父に「近頃、珍らしい感心な青年だ」と褒められ、二人は結ばれる。物語は、そんな夫婦が東海道を旅した日々を軸に、宿場に伝わる古い旅の風俗や、そこに生きた人々の面影を織りまぜながら、幾世代にもわたって受け継がれ、また過ぎ去ってゆく人の世の営みへと、静かに思いを広げてゆく。汽車の窓に伊勢路の山々が見え出し、冬近い野には大根が一面に干されている。「私」は、自分のような平凡に過ごした半生の中にも、二十年という歳月を経れば、何か大まかに脈をうつものがあるのを感じる――それは、たいして縁もない他人の脈ともどこかで触れ合いながら。快げに居眠りする主人の白髪を見ながら、「私」は急ぐ心もなく桑名へ向かう。平凡な半生の底に流れる、時と世代の脈を見つめた、かの子晩年の抒情的な一編である。
登場人物
- 私 有職故実家の父に絵を習って育った女性。風俗史学者の主人(夫)と東海道を旅し、世代を継ぐ人の世の営みに思いをめぐらせる
- 主人 「私」の夫。風俗史を専攻し、昔の旅の風俗を求めて東海道に通う学者
冒頭部(原文より)
風俗史専攻の主人が、殊に昔の旅行の風俗や習慣に興味を向けて、東海道に探査の足を踏み出したのはまだ大正も初めの一高の生徒時代だったという。私はその時分のことは知らないが大学時代の主人が屡々そこへ行くことは確に見ていたし、一度などは私も一緒に連れて行って貰った。念の為め主人と私の関係を話して置くと、私の父は幼時に維新の匆騒を越えて来たアマチュアの有職故実家であったが、斯道に熱心で、研究の手傅けのため一人娘の私に絵画を習わせた。
「東海道五十三次」岡本かの子(青空文庫)
末尾部(原文より)
汽車の窓から伊勢路の山々が見え出した。冬近い野は農家の軒のまわりにも、田の畦にも大根が一ぱい干されている。空は玻璃のように澄み切って陽は照っている。 私は身体を車体に揺られながら自分のような平凡に過した半生の中にも二十年となれば何かその中に、大まかに脈をうつものが気付かれるような気のするのを感じていた。それはたいして縁もない他人の脈ともどこかで触れ合いながら。私は作楽井とその息子の時代と、私の父と私たちと私たちの息子の時代のことを考えながら急ぐ心もなく桑名に向っていた。主人は快げに居眠りをしている。少し見え出したつむじの白髪が弾ねて光る。
「東海道五十三次」岡本かの子(青空文庫)
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