鼓くらべ(山本周五郎)のあらすじ・登場人物
勝つための芸は芸ではない
- 心理
- 文字数
- 8,581字
- 読了目安
- 約17分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 石川県
この作品について
山本周五郎が1941年(昭和16年)、「少女の友」に発表した短編。加賀・金沢の城下を舞台に、勝つことに憑かれた鼓の名手の少女・お留伊が、一人の老人との出会いを通じて、芸の本質を悟るまでを描く。人に勝つための芸は本当の芸ではない――貧しくみすぼらしい老人が説くその教えは、驕り高ぶっていたお留伊の心を打つ。競い合いを捨てたとき初めて生まれる、澄みきった鼓の音。芸道の心をうたいあげた清冽な佳品である。
あらすじ
加賀・金沢いちばんの絹問屋の娘お留伊は、十五歳にして小鼓の名手と評判が高い。美しくも勝気で驕った少女で、まもなく城下で開かれる「鼓くらべ」――前田家の殿の前で技を競う晴れの舞台で、なんとしても一番になろうと、烈しく稽古に打ちこんでいた。そんなある日、お留伊は、貧しく病んだひとりの老人と知りあう。落ちぶれてはいるが、ただ者ならぬその老人は、勝ち負けにばかり心を奪われているお留伊に、芸というものの本当のありようを静かに語る。人に勝とう、人を負かそうとして打つ鼓は、どれほど巧みでも本物の芸ではない。芸は競うためのものではなく、澄んだ心から生まれ、人の心にまっすぐ通うものでなければならない――。老人こそ、名声を捨てて姿を消したという伝説の名人・観世市之亟ではないか、とお留伊は思う。その教えに深く胸を打たれたお留伊は、鼓くらべで勝つことへの執着を捨て、勝負の場に立つのをやめる。かわりに、死の床にある老人のかたわらに端座し、彼ひとりのために鼓を打つ。澄みきったその音色は、荘厳とさえいえる響きで部屋いっぱいにひろがってゆくのだった。
登場人物
- お留伊 加賀・金沢いちばんの絹問屋の娘。十五歳の小鼓の名手だが、勝気で驕っている本作の主人公
- 老人 貧しく病んだ、ただ者ならぬ鼓の名手。芸の本当の心をお留伊に説く。名を捨てた名人・観世市之亟と思われる
冒頭部(原文より)
庭さきに暖い小春日の光が溢れていた。おおかたは枯れた籬の菊のなかにもう小さくしか咲けなくなった花が一輪だけ、茶色に縮れた枝葉のあいだから、あざやかに白い葩をつつましく覗かせていた。 お留伊は小鼓を打っていた。
「鼓くらべ」山本周五郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
今はもう、老人が観世市之亟であるかどうか確めるすべはない、けれどお留伊はかたくそう信じているし、またよしそうでないにしても、その老人こそ彼女にとっては本当の師匠であった。 部屋はもう暗かった。……取寄せた火で鼓の皮を温めたお留伊は、老人の枕辺に端坐して、心をしずめるように暫く眼を閉じていた。…… 「いイやあ――」 こうとして、鼓は、よく澄んだ、荘厳でさえある音色を部屋いっぱいに反響させた。……お留伊は「男舞」の曲を打ちはじめた。
「鼓くらべ」山本周五郎(青空文庫)
原文を読む
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