上田秋成の晩年(岡本かの子)のあらすじ・登場人物
雨月物語の作者の冬の一夜
- 歴史
- 心理
- 文字数
- 18,284字
- 読了目安
- 約37分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 京都府
この作品について
岡本かの子の短編小説で、1935年(昭和10)8月の「文学界」に発表された。『雨月物語』の作者で国学者の上田秋成を主人公にした歴史小説。文化三年の春、七十三歳の秋成は妻に先立たれ、目もほとんど見えなくなって、京都南禅寺の境内に建てた間に合わせの小庵に身を寄せている。木枯らしの吹く夜、煎茶の湯が沸くのを待ちながら、秋成は養母たちや妻のこと、俳諧や国学の仲間と論敵、医者として暮らした日々を思い返していく。秋成の随筆『胆大小心録』の言葉を引きながら、偏屈で皮肉な老人の内面をたどった作品。
あらすじ
文化三年の春、七十三歳の上田秋成は、妻の瑚尼に先立たれて身寄りもなく、京都南禅寺内に間に合わせの小庵を建てて住み、軒に昔の庵号「鶉居」の垂簾を掛ける。木枯らしの夜、焼米と泥鰌の夕飯をすませた秋成は煎茶の湯を沸かしながら、不遇の生涯を思い返す。俳諧で名を上げた淡々、論敵の本居宣長や村田春海、ただ言歌の小沢蘆庵、出世した画家の月渓らへの不平が胸に込み上げ、湯鑵に指を押し当てて生の手応えを確かめる。素性の知れない生母、二人の養母、紙屋の店を潰して医者になり、体を壊して長柄川へ退いた日々。妻のお玉は尼になってから気性が変わり、かえっていとおしくなったが、死後に見つけた文反古には夫への細やかな思いが綴られていた。七十歳で生き葬いをしてからは、周りは自分を子どもに返った老人として扱う。夜明け近く、秋成は求める心も愛憎もまだ生殺しのまま残っていると気づき、身体と周囲を人殺しと罵って、生きられるだけ生きてやろうと心を決め、新しい湯で名茶を淹れる。翌年、秋成は草稿五束を古井戸に捨て、さらに翌年には『胆大小心録』を書き上げた。文化六年六月、住み切ると決めた鶉居にも住み切れず、弟子の羽倉信美の家で死んだ。
登場人物
- 上田秋成 『雨月物語』の作者で国学者。七十三歳。目を病み、南禅寺内の小庵に独りで住む
- 瑚尼(お玉) 秋成の亡妻。晩年に尼となった
- 羽倉信美 秋成の弟子
冒頭部(原文より)
文化三年の春、全く孤独になつた七十三の翁、上田秋成は京都南禅寺内の元の庵居の跡に間に合せの小庵を作つて、老残の身を投げ込んだ。 孤独と云つても、このくらゐ徹底した孤独はなかつた。七年前三十八年連れ添つた妻の瑚尼と死に別れてから身内のものは一人も無かつた。友だちや門弟もすこしはあつたが、表では体裁のいいつきあひはするものの、心は許せなかつた。それさへ近来は一人も来なくなつた。いくらからかひ半分にこの皮肉で頑固なおやぢを味ひに来る連中でも、ほとんど盲目に近くなつたおいぼれをいぢるのは骨も折れ、またあまり殺生にも思へるからであらう。秋成自身も命数のあまる処を観念して、すつかり投げた気持になつてしまつた。
「上田秋成の晩年」岡本かの子(青空文庫)
末尾部(原文より)
その翌、文化四年七十四歳の秋成は草稿五束を古井戸に捨てた。 さうかと思ふと、その翌、文化五年には、人が、彼の書簡集『文反古』を編んで刊行するのを許して居る。そして、彼自身も、最も露骨な告白文である随筆集『胆大小心録』を完成して居る。 翌、文化六年六月、彼は、弟子の羽倉信美の家で死んだ。住み切らうと決心した南禅寺の小庵『鶉居』にも住み切れなかつた。信美の家へ引取られるまでに、一時、寿蔵を営んだ西福寺へ寄寓したりなぞしても居た。
「上田秋成の晩年」岡本かの子(青空文庫)
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