アンデルセンの名文

アンデルセンの作品から、よく知られた一節を集めました。

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雪の女王

さあ、きいていらっしゃい。はじめますよ。このお話をおしまいまできくと、だんだんなにかがはっきりしてきて、つまり、それがわるい魔法使のお話であったことがわかるのです。この魔法使というのは、なかまでもいちばんいけないやつで、それこそまがいなしの「悪魔」でした。

アンデルセン『雪の女王』の語り出し。美しいものを醜く映す魔法の鏡を作った悪魔の話から、すべてが始まる。

ばらのはな さきてはちりぬ  おさなごエス やがてあおがん

旅の終わりに、カイとゲルダが思い出す賛美歌。幼い日の夏の記憶がよみがえり、凍った心が解けていく。

こうしてふたりは、からだこそ大きくなっても、やはりこどもで、心だけはこどものままで、そこにこしをかけていました。

カイを救い出したゲルダとの再会の場面。からだは大人になっても、心は子どものまま二人が寄りそう、物語の結びに近い一節。

人魚のひいさま

はるか、沖合へでてみますと、海の水は、およそうつくしいやぐるまぎくの花びらのように青くて、あくまですきとおったガラスのように澄みきっています。でも、そこは、ふかいのなんのといって、どんなにながく綱をおろしても底にとどかないというくらいふかいのです。お寺の塔を、いったい、いくつかさねて積み上げたら、水の上までとどくというのでしょうか。そういうふかい海の底に、海のおとめたち――人魚のなかまは住んでいるのです。

アンデルセン『人魚姫』(原題『人魚のひいさま』)の書き出し。やぐるまぎくの青と澄んだガラスにたとえた、深い深い海の底の描写から物語が始まる。

でも、あたしたちが、いいこどもをみて、ついよろこんでほほえみかけるとき、三百年が一年へります。けれど、そのかわり、いたずらな、またはいけないこどもをみて、かなしみの涙をながさせられると、そのひとしずくのために、あたしたちのためしのときも、一日だけのびることになるのですよ。

結末で、泡になった人魚に空気の娘たちが明かす言葉。善い行いを重ねれば、死なない魂を得られる——という救いが示される。

赤いくつ

はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。踊るとき、ぴったりと足についていますように。

教会の戸口で赤ひげの老兵がカレンの靴の底をたたいて言う言葉。この祝福めいた一言から、止まらない踊りの呪いが始まる。

赤いくつをはいて、踊っておれ。お前が青じろくなって冷たくなるまで、お前のからだがしなびきって、骸骨になってしまうまで踊っておれ。

剣を持った天使がカレンに下す宣告。虚栄の罰としての踊りが、童話とは思えない凄みで語られる場面だ。

カレンのたましいは、お日さまの光にのって、神さまの所へとんでいきました。そしてもうそこではたれもあの赤いくつのことをたずねるものはありませんでした。

アンデルセン『赤いくつ』の結び。悔い改めたカレンが救われる最期を、光とオルガンの響きの中に静かに描く。

人魚の姫

海のおきへ、遠く遠く出ていきますと、水の色は、いちばん美しいヤグルマソウの花びらのようにまっさおになり、きれいにすきとおったガラスのように、すみきっています。

アンデルセン『人魚の姫』の書き出し。花とガラスにたとえた澄んだ青で、読者を深い海の底の人魚の国へといざなう。

「ああ、王子さま、あなたのおそばにいたいために、あたしは、永久に声をすててしまったのです。せめて、それだけでも、わかってくださったら」

声と引きかえに人間の姿を得た姫の、口に出せない心の叫び。伝えられない思いの切なさがこの物語の核にある。

雪の女王

小さな鏡のかけらは、幾人かの人たちの心の中にさえ、はいりこみました。しかし、そうなると、ほんとうにおそろしいことです。その人の心は、ひとかたまりの氷のようになってしまうのです。

アンデルセン『雪の女王』第一のお話から。悪魔の鏡のかけらが心を凍らせるという設定が、この長い物語全体を動かしていく。

バラの花 かおる谷間に あおぎまつる おさな子イエスきみ

ゲルダが覚えた讃美歌の一節。カイとふたりで歌ったこの歌とバラの花が、ふたりの絆のしるしとして物語に繰り返し響く。

ナイチンゲール

「わたくしは、皇帝陛下のお目に、涙が浮びましたのを、お見うけいたしました。それこそ、わたくしにとりましては、なににもまさる、宝でございます。皇帝陛下の涙には、ふしぎな力があるのでございます。ほんとうに、ごほうびは、それでじゅうぶんでございます」

初めて皇帝の前で歌ったナイチンゲールの言葉。金の褒美より聞き手の涙を尊ぶ姿に、真の芸術とは何かという主題が表れる。

しっかり者のすずの兵隊

その兵隊は一本足でした。こしらえるときいちばんおしまいにまわったので、足一本だけすずがたりなくなっていました。でも、この兵隊は、ほかの二本足の兵隊同様、しっかりと、片足で立っていました。

二十五人のすずの兵隊のうち、ひとりだけ一本足の主人公の紹介。欠けた身でもまっすぐ立つ姿に、その誇り高さが表れる。

もみの木

「わかいあいだが、なによりもいいのだよ。ずんずんのびて、そだっていくわかいときほど、たのしいことはないのだよ。」

大きくなることばかり願う若いもみの木に、お日さまの光がかける言葉。今を味わえない木の姿が、物語の主題を形づくる。

野のはくちょう

王子たちは十一羽のみごとな野の白鳥になったのです。きみょうななき声をたてて、このはくちょうたちは、ご殿の窓をぬけて、おにわを越して、森を越して、とんでいってしまいました。

継母の呪いで十一人の王子が白鳥に変えられる場面。アンデルセン『野のはくちょう』の物語はここから動きだす。

おまえさんがそのしごとをはじめたときから、それができ上がるまで、それはなん年かかろうとも、そのあいだ、ちっとも口をきいてはならないのですよ。

兄たちを救う方法を告げる妖女の言葉から。イラクサで衣を編むあいだ沈黙を守るという、エリーザに課された試練の核心。

マッチ売りの少女

それはそれは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、一年のうちでいちばんおしまいの、おおみそかの晩でした。

アンデルセン『マッチ売りの少女』の書き出し。雪の降る大みそかの夕暮れという舞台を、短い文の重なりで静かに描き出す。

とうとう、少女は一本引きぬきました。「シュッ!」ああ、火花が散って、マッチは燃えつきました。暖かい明るいほのおは、まるで、小さなろうそくの火のようでした。

凍えた少女が最初のマッチをする場面。一本の小さな炎がこのあと次々と幻を見せる、物語の扉となる一節。

この子は暖まろうとしたんだね、と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国へのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした。

新年の朝、凍えて亡くなった少女を見た人々の言葉で終わる結び。人々の憐れみと、誰も知らない少女の幸福とが対比される。

はだかの王さま

「わたしどもは、機織りでして、みなさんの思いもおよばない、美しい織物を織ることができます。それに、その織物は色とがらとが、びっくりするほど美しいばかりではございません。その織物でこしらえた着物は、まことにふしぎな性質をもっておりまして、自分の役目にふさわしくない人や、どうにも手のつけられないようなばかものには、この着物は見えないのでございます」

ふたりのうそつきの売り込み口上。見えないと言えば愚か者になるという仕掛けが、大人たちの見栄を次々にあぶり出していく。

「だけど、なんにも着ていらっしゃらないじゃないの!」と、だしぬけに、小さな子供が言いだしました。

アンデルセン『はだかの王さま』で最もよく知られる一言。だれもが口をつぐんでいた真実を、子供の素直な目が言い当てる。

即興詩人

羅馬に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトンの神の像に造り做したる、美しき噴井ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。

アンデルセン作・森鴎外訳『即興詩人』(1902年刊)の本編の書き出し。ローマのバルベリーニ広場の噴水から、主人公アントニオの生い立ちが語られる。原作をしのぐと評された鴎外の雅文体は、明治の青年たちをイタリアへ憧れさせた。

醜い家鴨の子

それは田舎の夏のいいお天気の日の事でした。もう黄金色になった小麦や、まだ青い燕麦や、牧場に積み上げられた乾草堆など、みんなきれいな眺めに見える日でした。

『みにくいアヒルの子』の書き出し。色づいた麦畑や牧場ののどかな夏景色から、ひとつの卵をめぐる物語が始まる。

「僕は見っともなくて全く有難い事だった。犬さえ噛みつかないんだからねえ。」

猟の騒ぎのなか、猟犬に素通りされた子家鴨のつぶやき。いじめられ続けた身の悲哀を、苦い自嘲でのぞかせる。

「ああ僕はあの見っともない家鴨だった時、実際こんな仕合せなんか夢にも思わなかったなあ。」

自分が美しい白鳥だったと知った「醜い家鴨の子」の叫び。辛い冬を越えた末の喜びで物語は結ばれる。

絵のない絵本

それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。

町で孤独に暮らす貧しい絵かきが、窓の外に故郷と同じ月を見つける場面。ここから月が夜ごとに語る話が始まる。

「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」

題名『絵のない絵本』の由来となる月の言葉。月が世界中で見てきた光景を語り、絵かきが書きとめるという枠組みが示される。

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アンデルセン