泉鏡花の名文

泉鏡花の作品から、よく知られた一節を集めました。

17件

星あかり

もとより何故という理はないので、墓石の倒れたのを引摺寄せて、二ツばかり重ねて台にした。

冒頭の一文。鎌倉の寺の墓原で、閉め出された「自分」が倒れた墓石を台にする。理由のない行いから怪異の夜が始まる。

外科室

「痛みますか」 「いいえ、あなただから、あなただから」

麻酔を拒んだ伯爵夫人と執刀医が手術台で交わす一往復。九年前の一瞬の恋を秘めた二人の関係が、この短い応答で明かされる。

黒百合

越中の国立山なる、石滝の奥深く、黒百合となんいうものありと、語るもおどろおどろしや。

序の書き出し。立山の奥に咲くという黒百合の伝えを、古風な語り口で妖しく紹介する。

富山の町の花売は、山賤の類にあらず、あわれに美しき女なり。その名の雪の白きに愛でて、百合の名の黒きをも、濃い紫と見たまえかし。

序の結び。花売の娘「雪」の名の白さと黒百合の黒さを対にして、読者に物語の見方を委ねる、鏡花らしい美文。

高野聖

参謀本部編纂の地図をまた繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を附けた折本になってるのを引張り出した。

旅の僧が飛騨の山越えを語り出す冒頭。深山の妖異と美女の幻に彩られた、鏡花幻想文学の代表作の幕開け。

濁った黒い滑らかな肌に茶褐色の縞をもった、疣胡瓜のような血を取る動物、こいつは蛭じゃよ。

飛騨の山中で旅の僧が全身に蛭を浴びる場面。粘りつくような描写が、この先に待つ妖しい出来事への戦慄を高める。

葛飾砂子

先年尾上家の養子で橘之助といった名題俳優が、年紀二十有五に満たず、肺を煩い、余り胸が痛いから白菊の露が飲みたいという意味の辞世の句を残して儚うなり、贔屓の人々は謂うまでもなく、見巧者をはじめ、芸人の仲間にも、あわれ梨園の眺め唯一の、白百合一つ萎んだりと、声を上げて惜しみ悼まれたほどのことである。

冒頭の一文。若くして世を去った名優の死から語り起こし、その面影を慕う娘の物語へとつないでいく。

海異記

砂山を細く開いた、両方の裾が向いあって、あたかも二頭の恐しき獣の踞ったような、もうちっとで荒海へ出ようとする、路の傍に、崖に添うて、一軒漁師の小家がある。

冒頭の一文。砂山を「二頭の恐しき獣」にたとえ、荒海のほとりの漁師の家に不穏な気配を漂わせる。

婦系図

素顔に口紅で美いから、その色に紛うけれども、可愛い音は、唇が鳴るのではない。お蔦は、皓歯に酸漿を含んでいる。……

泉鏡花『婦系図』の書き出し。お蔦が酸漿を鳴らす音から始まり、その素性と粋な風情が一筆で描き出される。

おばけずきのいわれ少々と処女作

僕は明かに世に二つの大なる超自然力のあることを信ずる。これを強いて一纏めに命名すると、一を観音力、他を鬼神力とでも呼ぼうか、共に人間はこれに対して到底不可抗力のものである。

談話の書き出し。お化けを好む理由を「観音力」と「鬼神力」という二つの超自然力で説明する、鏡花の世界観を知る手がかりとして引かれる一節。

歌行灯

宮重大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる悦びのあまり……

膝栗毛の一節を口ずさむ声から始まる冒頭。桑名を舞台に能と芸の因果を描いた、鏡花円熟期の代表作の幕開け。

夜叉ヶ池

水は、美しい。いつ見ても……美しいな。

泉鏡花『夜叉ヶ池』の幕開き、鐘楼守の晃が米を磨ぐ百合に語りかける第一声。山里の清らかな水が、のちの物語を予感させる。

我が性は自由を想う。自在を欲する。気ままを望む。ともすれば、誓を忘れて、狭き池の水をして北陸七道に漲らそうとする。

晃が語る夜叉ヶ池の竜神の言い伝え。自由を欲する竜神を鐘の約束で封じているという、物語の根幹となる掟が示される。

湯島の境内

月は晴れても心は暗闇だ。

早瀬主税の台詞。お蔦に別れを告げねばならない夜、晴れた月と暗い胸の内を対比させた、芝居がかった名調子。

切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。蔦には枯れろ、とおっしゃいましな。

別れを切り出されたお蔦が主税に返す言葉。『婦系図』の「湯島の境内」の場面として知られ、新派の名台詞として広く親しまれた。

天守物語

そうおっしゃる、お顔が見たい、ただ一目。……千歳百歳にただ一度、たった一度の恋だのに。

泉鏡花『天守物語』で、天守夫人富姫が若き鷹匠図書之助に寄せる言葉。人ならぬ者が初めて知る恋の切実さが凝縮されている。

山吹

山吹の花の、わけて白く咲きたる、小雨の葉の色も、ゆあみしたる美しき女の、眉あおき風情に似ずやとて、――

戯曲の序。白い山吹を湯上がりの美女にたとえる一文に、鏡花らしい官能と美意識が凝縮されている。

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