近代劇とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- きんだいげき
19世紀後半から20世紀初めのヨーロッパで生まれた、近代社会に生きる個人と、その家庭や社会の問題を写実的に描いた演劇。ノルウェーのイプセンは『社会の柱』(1877年)、『人形の家』(1879年)、『幽霊』などの散文劇で、結婚や道徳、世間体の偽りを舞台の上で問い、「近代劇の父」と呼ばれる。こうした戯曲を上演するため、1887年にパリでアントワーヌが自由劇場を、1889年にベルリンでブラームが自由舞台を起こし、スウェーデンのストリンドベリやドイツのハウプトマンらも新しい戯曲を書いた。ロシアでは、1898年にスタニスラフスキーらが創立したモスクワ芸術座が、ペテルブルグでの初演に失敗したチェーホフの『かもめ』を再演して成功させ、続いて『ワーニャ伯父さん』『桜の園』なども上演した。大きな事件に頼らず、日常の会話と沈黙の中に人々の願いと挫折を浮かび上がらせるチェーホフの劇は、近代劇の到達点の一つとされる。日本では明治末から、坪内逍遥・島村抱月の文芸協会や小山内薫の自由劇場が翻訳劇を上演し、新劇運動の土台とした。抱月が訳した『人形の家』には、イプセンが結末の改作を強いられた経緯や各国での上演史をたどる抱月の解説が添えられている。伊藤野枝が訳したエマ・ゴールドマンの評論『少数と多数』も、多数者に抗う個人の例としてイプセンの『民衆の敵』を引いており、近代劇が思想としても読まれたことを示している。