写生文とは

分類
形式・ジャンル
読み
しゃせいぶん

正岡子規が俳句・短歌の革新に用いた「写生」の理念を散文に及ぼした文章。明治33年(1900年)1月、子規が新聞「日本」に三回にわたって載せた「叙事文」がその出発点で、ある景色を見て面白いと思ったとき、飾らずありのままに書くことで読者にも同じ面白さを感じさせる、という方法が説かれた。同じ年、病床の子規のもとで文章会「山会」が始まり(「文章には山(中心点)がなければならぬ」という子規の言葉に由来する)、「ホトトギス」誌上にも写生文の投稿欄が設けられて、教師・学生・会社員ら多様な書き手を集めた。子規自身の『病牀六尺』、高浜虚子の『斑鳩物語』『俳諧師』、長塚節の『土』、寺田寅彦の随筆へと受け継がれ、夏目漱石も山会で読まれた『吾輩は猫である』でこの流れから小説へ踏み出している。島崎藤村『千曲川のスケッチ』も写生文の名品である。自然主義の告白調とは異なり、対象を突き放して眺める客観的で軽みのある文体を近代散文にもたらした。島村抱月は『今の写生文』で、写生文を無形式で未完成としながらも、小説や劇を志す若者の修業には最もよいと評している。

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