地下生活者の手記(ドストエフスキー)のあらすじ・登場人物
地下の片隅から諸君へ毒づく
- 心理
- 翻訳
- 文字数
- 138,431字
- 読了目安
- 約4時間37分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
ドストエフスキーが1864年に発表した中編(原題『Записки из подполья』。一般には『地下室の手記』の題でも知られる)を、ドストエフスキー全集の個人全訳を成し遂げた米川正夫が訳したもの。四十歳の元役人が、社会から身を引いた片隅の部屋で、見えない読者「諸君」へ向けて自意識と理性への反逆をまくし立てる第一部と、若き日の屈辱と娼婦リーザとの出会いを語る第二部からなる。理性と進歩への懐疑をむき出しにした語りは、『罪と罰』以降の大長編を予告する作品として、また実存主義文学の先駆として読み継がれている。
あらすじ
「わたしは病的な人間だ……わたしは意地悪な人間だ」。四十歳の元役人の「わたし」は、遠縁の者が遺した六千ルーブリを手に勤めを辞め、ペテルブルグの片隅の部屋にこもって暮らしている。第一部「地下の世界」で彼は、見えない「諸君」に向かってしゃべり続ける。意識しすぎることは一つの病気であり、強い意識を持つ人間は何ひとつ行動に移せない。二二が四という理性の法則も、人類の幸福を約束する「水晶宮」も、自分の気まぐれを奪うものなら受け入れない――人間は自分の利益に背いてでも、自分の意志を通したがる生き物なのだ、と。第二部「べた雪の連想から」では、二十四歳のころの出来事が回想される。安料理屋の玉突場で将校に黙って脇へどけられた屈辱を晴らそうと、彼はネーフスキイ通りで肩をぶつけてやる機会を何年も狙い続ける。やがて旧友ズヴェルコフの送別会に頼まれもせず割りこみ、シーモノフらの前で醜態をさらしたあげく、その夜、娼家で若い娼婦リーザと出会う。彼は彼女の行く末の惨めさを雄弁に説いて泣かせ、自分の住所を渡して帰る。数日後、下男アポロンと言い争っている最中にリーザが訪ねてくると、彼はあの晩の言葉はただの気晴らしだったと彼女を罵る。それでも彼女は彼の不幸を察して抱きしめるが、彼は別れぎわ、その手に金を握らせる。リーザが去ったあと、テーブルには揉みくちゃの五ルーブリ札が残されていた。彼は雪の中を追って駆け出すが、四つ角で立ちどまってしまう。
登場人物
- わたし 四十歳の元役人。地下の片隅にこもり「諸君」へ語りかける
- リーザ 娼家で出会った若い娘
- ズヴェルコフ 遠い地方へ転任する将校の旧友。その送別会が騒ぎの種になる
- シーモノフ 学校時代の旧友の一人
- アポロン 「わたし」の下男
冒頭部(原文より)
第一 地下の世界 1 わたしは病的な人間だ……わたしは意地悪な人間だ。わたしは人好きのしない人間だ。これはどうも肝臓が悪いせいらしい。もっとも、わたしは自分の病気のことなど、これっからさきもわかっていないし、それに自分の体のどこが悪いのか、それさえ確かなことはわからないのだ。わたしは医術や医者を尊敬してはいるけれど、医療というものを受けていない。またこれまでもかつて受けたことがない。その上おまけに、わたしは極端に迷信家なのである。まあ、いわば、医術など尊敬する程度のかつぎ屋なのである(わたしは迷信家にならないですむくらいには、十分教育を受けているのだけれど、それでもかつぎ屋なのである)。なに、意地でも、医者の治療なんか受けたくない。これなぞは、確かに諸君の理解を絶したことに相違ない。ところが、わたしにはそれがわかっているのだ。この場合、わたしがこんな意地をはって、いったいだれに面当てしようというのか、その辺はわたしもむろんうまく説明ができない。わたしが医者の治療を受けないからといって、それでやつらを「困らせる」わけにはゆかないのは、自分でもよく承知している。そんなことをして損をするのは自分一人だけで、ほかのだれでもないということは、百も承知なのである。が、それにしても、わたしが治療を受けないのは、やはり意地っ張りのためなのだ。肝臓が悪いのなら、もっともっと、うんと悪くなるがいい!
「地下生活者の手記」ドストエフスキー(青空文庫)
末尾部(原文より)
……われわれは死産児で、しかもずっと前から、生きた父親から生まれたのではないのだ。しかも、それがだんだんよけいに御意に召してくるのだ。好みに合ってくるわけである。やがて遠からず、なんとかして、観念から生まれることを考え出すだろう。が、もうたくさんだ、――わたしはもう『地下の世界』から書き送るのがいやになった…… ――――――――――― とはいうものの、この逆説家の『手記』はこれだけで終わったのではない。彼は我慢しきれないで、またさきを書きつづけたのである。しかし、やはりもうこのへんでとめてもよかろうと思う。
「地下生活者の手記」ドストエフスキー(青空文庫)
名文
わたしは病的な人間だ……わたしは意地悪な人間だ。わたしは人好きのしない人間だ。これはどうも肝臓が悪いせいらしい。
『地下生活者の手記』の書き出し。四十歳の元役人が自嘲と挑発を交えて語り始める、ドストエフスキーの屈折した独白体の幕開け。
――えいっ、諸君、何をいうのだ、問題が表や算術なんてところまで行ってしまって、ただ二二が四だけ幅を利かすようになったら、もう自分の意志も何もないじゃないか?
合理主義への反逆を語る第一部の一節。「二二が四」の動かせない理屈に、人間の気まぐれな意志を対置する地下室の男の論法。
世界が破滅するのと、このぼくが茶を飲めないのと、どっちが一大事かと思う? その答、――世界は破滅しても、ぼくはいつでも茶を飲まなくちゃいけないんだ。
第二部で語り手が娼婦リーザに本音をぶちまける場面。徹底した自意識と利己心を、露悪的に言い放つ一句として知られる。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。