早すぎる埋葬(ポー)のあらすじ・登場人物
生きたまま葬られる恐怖
- 怪奇
- 翻訳
- 文字数
- 15,567字
- 読了目安
- 約31分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
アメリカの作家エドガー・アラン・ポーが1844年に発表した恐怖小説「The Premature Burial」を、ポーの紹介者として知られる佐々木直次郎が訳した一編(第一書房『エドガア・アラン・ポオ小説全集』所収)。生きたまま埋葬されることへの恐怖に取り憑かれた男の告白を通して、恐怖が人間の心をどこまで追いつめるかを描く。
あらすじ
小説にするにはあまりに恐ろしすぎる題材というものがある。生きたまま埋葬されることは、その最たるものだ。「私」は、そうした実例を次々に挙げていく。手術台の上で息を吹き返した者、墓をあけたところ、棺の内側に必死にもがいた跡が残されていた者。ところが「私」自身も、突然意識を失い、死んだように見える強硬症の発作に悩まされる男だった。いつか発作のあいだに棺に納められるのではないかという恐れに、「私」はしだいに取り憑かれていく。邸の墓所には、棺の中から開けられるしかけと、鐘の綱まで備えさせた。そんなある日、狩猟の旅に出た「私」は、舟の狭い寝棚で目を覚ます。まわりは真っ暗で、体は狭い箱に押し込められたように動かず、「私」は自分が棺の中にいるのだと思い込んで絶叫する。実際には、舟の寝棚に寝ていただけだった。この経験を境に、「私」は恐怖の呪縛から解き放たれていく。
登場人物
- 私 強硬症の発作に苦しみ、生き埋めの恐怖に取り憑かれた男
冒頭部(原文より)
興味の点はまったく人を夢中にさせるものであるが、普通の小説にするのにはあまりに恐ろしすぎる、というような題材がある。単なるロマンティシストは、人の気を悪くさせたり胸を悪くさせたりしたくないなら、これらの題材を避けなければならない。それらは事実の厳粛と尊厳とによって是認され支持されるときにだけ正しく取り扱われるのである。たとえば、我々はベレジナ河越えや、リスボンの地震や、ロンドンの大疫病や、セント・バーソロミューの虐殺や、あるいはカルカッタの牢獄における百二十三人の俘虜の窒息死などの記事を読むとき、もっとも強烈な「快苦感」に戦慄する。
「早すぎる埋葬」ポー(青空文庫)
末尾部(原文より)
あの墓場の恐怖は病気の結果であるよりも、むしろその原因であったのであろう。 我々の悲しい人類の世界が、理性の冷静な眼にさえも、地獄の相を示すときがある。――しかし、人間の想像は、その地獄の洞窟を一つ一つ罰せられることなくして探るところのカラティスのようなものではない。ああ! 墓場の恐怖のあのもの凄い幽霊らはまったく空想的なものと見なすことができないのだ。――しかしオグザス河を下ってアフラシアブとともに旅をしたかの悪魔たちのように、彼らは眠らねばならぬ。でなければ彼らは我々を食いつくすであろう。――彼らは眠るようにさせられなければならぬ。でなければ我々は滅びるのだ。
「早すぎる埋葬」ポー(青空文庫)
名文
実際、真の悲惨――どたんばの苦悩――は個人的のものであり、一般的のものではない。
ポー『早すぎる埋葬』の序盤、歴史上の大惨事にふれたあとの一文。恐怖の本質は一人の人間の苦しみにあるという、本作の出発点を示す。
生と死とを分つ境界はどう見ても影のような漠然としたものである。どこで生が終りどこで死が始まるのか、ということは誰が言えよう?
生きながら葬られる恐怖を論じる一節。生と死の境のあいまいさを問いかける、ポーの恐怖小説の中心にある考えが表れている。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。