擬古典主義とは
- 分類
- 文芸思潮
- 読み
- ぎこてんしゅぎ
明治20年代(およそ1887年〜1896年)、急速な欧化への反動として日本の古典、とりわけ井原西鶴ら江戸文学の再評価へ向かった文学潮流。坪内逍遥らが唱えた写実主義の理念を受け継ぎながら、その手本を西洋ではなく自国の古典に求めた点に特色がある。忘れられていた西鶴の浮世草子を、淡島寒月が尾崎紅葉・幸田露伴らに紹介したことが、この流れのきっかけの一つとされる。明治22年(1889年)、紅葉は叢書「新著百種」の第1号『二人比丘尼色懺悔』で、露伴は同じ叢書の『風流仏』で文名を上げた。紅葉は西鶴に学んだ雅俗折衷の文体で『伽羅枕』『金色夜叉』など風俗と人情の機微を描いて硯友社を文壇の一大勢力へ押し上げ、露伴は東洋的な理想と教養に裏打ちされた『五重塔』などで並び立ち、両者の全盛期は「紅露時代」と呼ばれた。西鶴の影響のもと雅文体で市井の哀歓を描いた樋口一葉の『たけくらべ』も、この潮流との関わりで語られることが多い。日清戦争後に浪漫主義が興り、さらに自然主義が台頭すると急速に退潮したが、江戸文学の伝統と近代小説の融合を試みた文学史上の意義は大きい。