坂口安吾の名文

坂口安吾の作品から、よく知られた一節を集めました。

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FARCE に就て

ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。

安吾が道化芝居の精神を論じた『FARCEに就て』の核心の一文。笑いを泪より低いものとみる通念に抗い、ファルスを人間の全的な肯定と定義する。

イノチガケ――ヨワン・シローテの殉教――

一五四七年一月、一艘のポルトガル商船が九州の一角に坐礁して引卸しにかゝつてゐると、丘の上から騎馬で駈け降りてきた二人の日本人があつて、手拭を打ちふり、その船に乗せてくれないかと叫びたてゝゐる。

安吾の歴史小説『イノチガケ』の書き出し。のちにサビエルと出会う弥次郎の逃亡から、日本の切支丹の歴史が語り起こされる。

マグダレナは第一の突きが外れて頭巾が落ち、両眼を覆ふてしまつたので、その時までキリシトの御名を呼んでゐたが、このとき、天が見えませぬ、と言つた。

加藤清正の領内での殉教を記した一節。感情を抑えた記録調の文体の中に、殉教者の最期の一言が鮮烈に刻まれている。

文学のふるさと

モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。

救いのない童話や説話を例に挙げて文学の根源を論じる評論の一節。突き放されるような物語の中にこそ、人間の本当の姿が見えると述べる。

私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。

評論の題となった言葉が現れる一節。救いのない物語が読者を突き放すところにこそ、文学の、そして人間の出発点があると語る。

日本文化私観

法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。

戦時中に書かれた日本文化論の、最も挑発的な一節。古い建物を崇める伝統観を退け、生活の必要から生まれるものにこそ文化の本質があると説く。

青春論

今が自分の青春だというようなことを僕はまったく自覚した覚えがなくて過してしまった。いつの時が僕の青春であったか。どこにも区切りが見当らぬ。

安吾『青春論』の書き出し。区切りのない自分の青春を振り返るところから、生き方と文学をめぐる長い思索が始まる。

要するに、生きることが全部だというより外に仕方がない。

『青春論』の結びの一文。一生が毒々しい青春であることを引き受けた末の言葉で、安吾の人生観を最も短く言い表している。

堕落論

堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

敗戦直後の日本人に向けて書かれた評論の核心。武士道や天皇といった借り物の道徳へ戻るのではなく、堕ちきった先で自分を見出せと説く。

人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。

敗戦後の世相を見つめた一節。堕落を人間の本性として引き受けよという、本論の中核をなす言葉。

戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。

敗戦から一年とたたない世相を突きつける一節。美しく語られた戦時の理想が崩れ、人々が生きるためにたやすく変わっていく現実を直視する。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

堕落を防ぐことでは人は救えないと述べたあとに置かれた一文。生きることと堕ちることを同じものとして引き受けよと説く、本作の主張の要。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

堕落を敗戦のせいにする見方を退ける一節。堕落は時代の産物ではなく人間の本性だと言い切り、戦後の人々に自らを見つめ直すよう迫る。

白痴

その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆ど変っていやしない。

人と家畜を同列に並べる冷徹な書き出し。空襲下の街を白痴の女とともに逃げまどう男を描いた、戦後の安吾を代表する一篇。

いずこへ

私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。

安吾『いずこへ』の書き出し。考える気力をなくし、ただ耳を澄ましていたという虚脱した日々の語りが始まる。

いずこへ? いずこへ? 私はすべてが分らなかった。

表題の言葉が現れる本文の結び。行き先の見えない自分の行路を見つめる、安吾の孤独な問いかけである。

デカダン文学論

私はただ、私自身として、生きたいだけだ。

安吾『デカダン文学論』の結び近くの一文。通や極意に寄りかかる生き方を退け、自分自身として生きることを宣言する。

私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。

短い文を畳みかけて人間への愛を言い切る一節。安息を拒み、堕ちつづけ書きつづけるという安吾の文学観へつながる。

神よ。わが青春を愛する心の死に至るまで衰えざらんことを。

『デカダン文学論』の最後の一文。祈りの形で結ばれた、安吾の青春と文学への思いが率直に表れた言葉である。

続堕落論

堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。

『堕落論』の続編で、堕落のなかに潜む価値を掘り下げる一節。堕ちた者は誰にも頼れない孤独を背負うが、そこにこそ人間の真の姿があると説く。

私は海をだきしめていたい

私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。

『私は海をだきしめていたい』の書き出し。神を忘れられないまま地獄へ向かってしまう、安吾らしい自己規定から始まる。

私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思った。私は肉慾の小ささが悲しかった。

作品の結び。女の肉体よりも無慈悲で壮大な海の肉体に心を奪われる。表題につながる孤独な渇望の言葉である。

二十七歳

魂や情熱を嘲笑うことは非常に容易なことなので、私はこの年代に就て回想するのに幾たび迷ったか知れない。

自伝的作品『二十七歳』の書き出し。矢田津世子との恋をめぐる年代を、嘲笑と讃美のあいだで揺れながら振り返り始める。

私はやぶれかぶれになった。あらゆる生き方に、文学に。そして私の魂の転落が、このときから、始まる。

作品の終わり近く、文学への支柱を失った語り手の述懐。のちの安吾の生き方を予告するような、鋭い自己認識の一節である。

恋愛論

ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

坂口安吾『恋愛論』(1947年)の結び。恋愛は苦しく、いずれ色褪せるものだと認めたうえで、それでも人生の花はこれしかないと言い切る。「孤独は、人のふるさとだ」の一句は、安吾の言葉の中でもよく知られている。

桜の森の満開の下

桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。

満開の桜の下は美しいという常識を「嘘」と断じる導入。花の下に潜む虚無と恐怖を描く、安吾の代表作。

花の下では風がないのにゴウゴウ風が鳴っているような気がしました。

満開の桜の下に踏み込んだ山賊の感覚。音のない場所で風が鳴るという矛盾が、花の下の恐怖を言い当てる。

桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。

結末近くで語り手が明かす、桜の森の恐ろしさの正体。男が怖れ続けたものは、ほかならぬ「孤独」だったのかもしれないと示される。

あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした。

作品の最後の一文。満開の桜の下で女の姿も男の姿も消え去り、花びらと冷たい虚空だけが残る、幻想的で美しい結末。

教祖の文学――小林秀雄論――

死ねば私は終る。私と共にわが文学も終る。なぜなら私が終るですから。私はそれだけなんだ。

死後の名声を問題にしない「三文文士」の立場を語った一節。生きている間の文学にすべてを賭ける安吾の覚悟が端的に示される。

つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。

小林秀雄を「教祖」と呼んで批判した『教祖の文学』の一節。骨董を愛する批評家を「鑑定人」と言い切る、安吾の痛烈な論法である。

人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない。歴史というお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである。

「歴史の必然」を説く小林に対し、人生は自分でつくるものだと反論する一節。安吾の生き方の哲学がよく表れている。

暗い青春

まつたく暗い家だつた。いつも陽当りがいゝくせに。どうして、あんなに暗かつたのだらう。

安吾『暗い青春』の書き出し。同人誌の編集室として通った、自殺後の芥川龍之介の家の暗さを回想して始まる。

不連続殺人事件

昭和二十二年六月の終りであった。私は歌川一馬の呼びだしをうけて日本橋のツボ平という小料理屋で落ちあった。

坂口安吾『不連続殺人事件』の書き出し。語り手の「私」が歌川一馬に呼び出されるところから、奇妙な一族の殺人劇が幕を開ける。

不良少年とキリスト

生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。

太宰治の自殺の直後に書かれた追悼の評論から。友の死を悼みながらも、死を選んだことを「不良少年」の甘えとして退け、生き抜くことの意味を叩きつけるように説く。

夜長姫と耳男

好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。

耳男に胸を刺された夜長姫が、息絶える間際に告げる言葉。無邪気な残酷さを持つ姫と、彼女を恐れながら惹かれる匠との物語が、美と恐怖の一体となったこの一言に行き着く。

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坂口安吾