キリスト教と文学とは

分類
その他
読み
きりすときょうとぶんがく

明治以後、プロテスタントを中心とするキリスト教が近代日本の文学に与えた影響と、両者の結びつき。禁教が解かれた明治初期から、宣教師の学校や教会は西洋の思想と文学に触れる窓口となり、個人の内面、良心、恋愛の尊さといった近代的な考え方を若い知識人に伝えた。北村透谷は明治21年(1888年)に受洗し、内面の生命を重んじる評論で浪漫主義を導いた。透谷とともに「文学界」に集った島崎藤村も明治学院に学んで受洗しており、国木田独歩・正宗白鳥は植村正久のもとで洗礼を受けている。札幌農学校に学んだ内村鑑三は、教会によらない無教会主義を唱え、講演『後世への最大遺物』(明治27年)などで青年を励ました。その門には志賀直哉・小山内薫・正宗白鳥らが出入りし、札幌で学んだ有島武郎も強い感化を受けている。有島は信仰から離れたのちも『クララの出家』のように信仰を主題とする作品を書いた。木下尚江のキリスト教社会主義、新渡戸稲造の人格教育、徳冨蘆花らによるトルストイの受容も、この流れに連なる。大正・昭和には、信仰の外側から聖書を読む作家も多かった。芥川龍之介は切支丹物のほか『南京の基督』を書き、最晩年の『西方の人』で自分の目に映るキリストを描いた。太宰治は師を訴える弟子の独白による『駈込み訴え』(昭和15年)をはじめ、聖書の言葉をしばしば作品に織りこみ、坂口安吾はその死を論じた『不良少年とキリスト』を書いた。詩では八木重吉が、信仰を澄んだ短詩にうたっている。

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