宮沢賢治の名文
宮沢賢治の作品から、よく知られた一節を集めました。
53件
インドラの網
いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました。
題名の「インドラの網」が空いっぱいに現れる場面。鉱物や菌糸にたとえた細密な描写で、天の世界の荘厳を描き出す。
雁の童子
童子はやっと歩き出されました。そして、遥かに冷たい縞をつくる雲のこちらに、蘆がそよいで、やがて童子の姿が、小さく小さくなってしまわれました。俄かに空を羽音がして、雁の一列が通りました時、須利耶さまは窓からそれを見て、思わずどきっとなされました。
母に蘆笛をもらって帰っていく童子を見送る場面。小さくなる姿に雁の列が重なり、童子の不思議な素性をそっと響かせる。
マグノリアの木
(けわしくも刻むこころの峯々に いま咲きそむるマグノリアかも。)
霧が晴れ、険しい山谷いちめんにマグノリアの白い花が咲くのを諒安が見たとき、どこからか聞こえる歌。苦しい道のりがそのまま心の景色だったと示す。
「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたが感じているのですから。」
マグノリアの木の下で出会った人が諒安に答える言葉。自分と他者の境がほどける、賢治の宗教的な思索がよく表れた対話。
ひのきとひなげし
スターというのはな、本当は天井のお星さまのことなんだ。
スターになりたいと騒ぐひなげしたちに、若いひのきが説いて聞かせる言葉。憧れの言葉の本当の意味へ目を向けさせる一節。
二十六夜
北上川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻は微かな星のあかりの底にまっくろに突き出ていました。
冒頭近くの夜景。旧暦六月二十四日の晩、梟たちの説法が始まる前の北上川を、「黒の寒天」という比喩でとらえる。
星めぐりの歌
あかいめだまの さそり ひろげた鷲の つばさ あをいめだまの 小いぬ、 ひかりのへびの とぐろ。
「銀河鉄道の夜」にも歌われる賢治自作の歌。星座を色とかたちだけで呼び上げ、夜空をそのまま童謡にしてみせた。
雪渡り
雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。 「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」
物語の書き出し。雪が凍って野原のどこへでも歩いて行ける冬の日の喜びを、子供たちの囃し言葉が弾むように伝え、狐の子との出会いへと誘う。
やまなし
二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。 『クラムボンはわらったよ。』 『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
谷川の底を「二枚の青い幻燈」として描く童話の一場面。正体の知れない「クラムボン」という語だけで、幼い蟹たちの世界が鮮やかに立ち上がる。
私の幻燈はこれでおしまいであります。
二枚の青い幻燈として語られた物語の結び。語り手が幕を引くことで、蟹の親子の世界がふっと遠のいていく。
春と修羅
わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です
詩集「春と修羅」序の冒頭。自分という存在を明滅する一つの照明と捉える科学と信仰の入り混じった宇宙観が、賢治の詩の入口に置かれている。
けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
妹トシの死の日にうたわれた「永訣の朝」の冒頭。みぞれを取りに走る兄の姿が、賢治の詩でもっとも深い哀切を刻む。
いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を 唾し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ
表題作「春と修羅」の中心となる詩句。春の光のなかで怒りと苦しみを抱えて歩く自らを、仏教でいう争いの世界の住人「修羅」として描き出す。
さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました もう一時間もつづいてりんと張つて居ります
二行だけの短い詩「報告」。火事と見まがうほど鮮やかな虹を丁寧な報告の口調で伝え、驚きとユーモアを一瞬の風景に閉じ込める。
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまつすぐにすすんでいくから
「永訣の朝」の一節。死にゆく妹がみぞれを取ってきてほしいと頼んだのは兄を慰めるためだったと悟った賢治が、感謝とともに生きる決意を告げる。
太刀は稲妻萱穂のさやぎ 獅子の星座に散る火の雨の 消えてあとない天のがはら 打つも果てるもひとつのいのち
「原体剣舞連」の結び。岩手に伝わる郷土芸能の剣舞を、稲妻や星座に散る火の雨にたとえて描く。「打つも果てるもひとつのいのち」の一行が、踊りに宇宙的な生命感を与える。
注文の多い料理店
二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。
山を軽んじる紳士たちの姿から始まる書き出し。やがて「注文」する側とされる側が入れ替わる、皮肉の効いた童話の幕開け。
しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
山を出て助かった二人を突き放す最後の一行。恐怖に歪んだ顔が二度と元へ戻らないという一点だけが、罰として残される。
どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません
山猫軒の玄関に掲げられた最初の注文書き。二人の紳士は都合よく読んで喜ぶが、読み返すと裏の意味が浮かび上がる。この言葉遊びが物語の仕掛けの始まりになる。
どんぐりと山猫
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
誰がいちばんえらいかを言い争うどんぐりたちに、一郎の入れ知恵を受けた山猫が下す判決。価値の物差しをひっくり返してみせる、賢治の思想がもっとも端的に出た場面。
山男の四月
山男は仰向けになって、碧いああおい空をながめました。お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのよう、かれくさのいいにおいがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光をだしているのでした。
山鳥をとった山男が、日だまりのかれ芝に寝ころんで春の空を見上げる場面。太陽を「やまなし」にたとえる、のびやかな四月の景色。
かしわばやしの夜
「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン。」
日暮れの畑仕事をしていた清作の耳に、柏ばやしの方から届く調子はずれの声。奇妙な画かきとの出会いと、柏の木たちの夜の宴の始まりを告げる。
お月さまの光が青くすきとおってそこらは湖の底のようになりました。
柏の木たちの歌比べの夜を照らす月光。月の色が場面ごとに移り変わる、この作品の幻想的な光の描写の一つ。
鹿踊りのはじまり
わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほんとうの精神を語りました。
冒頭の一節。夕陽に光るすすきの野原で、風の声が人のことばに変わり、鹿踊りの起こりを語りはじめる。賢治らしい語りの入口。
それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。
結びの一文。冒頭の「風から聞いた話」という枠へ静かに戻り、物語全体を秋の風の贈り物として閉じる。
『注文の多い料理店』序
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
生前に刊行された唯一の童話集の序の書き出し。物の豊かさがなくとも自然から美しいものを受け取れるという、賢治の世界観が語られる。
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
序の結び。自らの童話を、読者の心の糧となる「すきとおったほんとうのたべもの」として差し出す、書き手としての切実な願い。
オツベルと象
オツベルときたら大したもんだ。
牛飼いの語りで始まる冒頭。呆れとも感嘆ともつかぬ一言が、搾取する側の大きさと、それを下から見上げる庶民の目線を同時に立ち上げる。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。 おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
仲間の象たちに助け出された白象の言葉と、物語の最後の一行。語り手が突然だれかに呼びかけて終わる謎めいた結びは、原稿の一字が判読できないことも相まって、読む者の想像をかき立ててきた。
猫の事務所
ぼくは半分獅子に同感です。
いじめのはびこる猫の事務所を獅子が解散させたあと、語り手が添える最後の一行。「半分」という留保に、単純な勧善懲悪では終わらせない賢治の複雑な思いがこもる。
グスコーブドリの伝記
グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。
物語の書き出し。イーハトーヴの森で木こりの子として生まれたブドリが、冷害と飢饉を経て、人々のために身をささげる技師となるまでの伝記が始まる。
そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。
物語の結び。ブドリが火山島に残り、命と引き換えに気候を暖めたあと、かつての自分の一家のような人々が救われたことを告げて、自己犠牲の物語を静かに閉じる。
銀河鉄道の夜
けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。
銀河をわたる夜の旅のなかでくり返し問われる、物語の核心にある一句。ほんとうの幸いとは何かを問い続けた宮沢賢治の願いが、この短い問いに凝縮されている。
カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。
銀河の旅の終わり近く、ジョバンニが友に告げる言葉。この直後にカムパネルラの席は空になり、永遠の別れが訪れる。
どうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。
カムパネルラが語る「さそりの火」の祈り。自分の命を他者の幸いのために使ってほしいという願いが、本作の主題をそのまま言い当てる。
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。
さそりの火の話を聞いたジョバンニがカムパネルラに語る決意。自己犠牲を通して「ほんとうのさいわい」を求める、作品の中心にある願い。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
作品の書き出し、午後の授業での先生の問いかけ。天の川の正体を問うこの一言から、ジョバンニの銀河をめぐる旅が静かに始まる。
僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。
石炭袋の暗い穴を前にジョバンニが語る誓い。直後にカムパネルラは姿を消し、この言葉はひとり残されたジョバンニの生きる指針となる。
おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。
ジョバンニの切符を見た鳥捕りの言葉。「ほんとうの天上へさえ行ける」「どこでも勝手にあるける通行券」という言い方が、ジョバンニの旅の特別さを印象づける。
「そんな神さまうその神さまだい。」 「あなたの神さまうその神さまよ。」 「そうじゃないよ。」 「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。 「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」 「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
天上で降りようとする姉弟とジョバンニの言い合い。互いの神を「うその神さま」と言い合う子供らしいやりとりが、「ほんとうの神さま」とは何かという作品の根本の問いへつながっていく。
セロ弾きのゴーシュ
ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。
楽長に叱られてばかりの下手なセロ弾きを紹介する書き出し。夜ごと訪れる動物たちとの稽古が、彼を静かに変えていく。
ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。
演奏会を成功させた夜の結び。稽古につきあわせた末に追い出した鳥への詫びが、ゴーシュの変化を静かに示す。
風の又三郎
どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう
風の音をそのまま言葉にした冒頭の唄。転校生の高田三郎を風の精「又三郎」と信じた子どもたちの、九月のふしぎな十二日間を呼び込む。
「ああわかった。あいつは風の又三郎だぞ。」
谷川の小さな学校に現れた不思議な転校生を見て、嘉助が叫ぶ言葉。子どもたちの間に、少年は風の精「又三郎」ではないかという噂が広がってゆく。
よだかの星
よだかは、実にみにくい鳥です。
蔑まれる鳥を、ためらいなく「みにくい」と言い切って始まる童話。生きるために食べることの罪を見つめ、よだかは星になる。
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。 今でもまだ燃えています。
作品の結び。醜いとさげすまれたよだかが、空へ昇り続けて青い星となる。今もまだ燃えているという一行が、救いと悲しみを同時に残す。
なめとこ山の熊
熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ
熊を撃ち倒した小十郎が、その亡骸に語りかける言葉。生きるために殺さねばならない者どうしの因果を土地の言葉で語り、命をめぐる賢治の祈りがにじむ。
虔十公園林
ああ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。ただどこまでも十力の作用は不思議です。
虔十の植えた杉林が子供たちの遊び場として残ったことを知った博士の言葉。愚かだと笑われた虔十の行いの価値を認め、人の賢さを測る物差しそのものを問い直す。
雨ニモマケズ
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ
手帳に書きつけられ、没後に見出された賢治の祈りの詩。素朴な言葉で理想の生き方をうたい、今なお愛誦される。
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ
手帳に書きつけられた詩の結び。褒められも苦にもされず、ただ「デクノボー」と呼ばれる者でありたいと願う。
ポラーノの広場
あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。
語り手のキュストが、モリーオ市で過ごした日々を懐かしく思い起こす一節。賢治が理想の土地として描いたイーハトーヴォの光と風が、澄んだ言葉の連なりで鮮やかに呼び起こされる。
疾中
だめでせう とまりませんな がぶがぶ湧いてゐるですからな ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから そこらは青くしんしんとして どうも間もなく死にさうです けれどもなんといゝ風でせう もう清明が近いので あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに きれいな風が来るですな もみぢの嫩芽と毛のやうな花に 秋草のやうな波をたて 焼痕のある藺草のむしろも青いです あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが 黒いフロックコートを召して こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば これで死んでもまづは文句もありません 血がでてゐるにかゝはらず こんなにのんきで苦しくないのは 魂魄なかばからだをはなれたのですかな たゞどうも血のために それを云へないがひどいです あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが わたくしから見えるのは やっぱりきれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです。
病床詩篇『疾中』の一篇「眼にて云ふ」の全編。喀血しながら医師を見上げる「わたくし」の目に映るのは、青空とすきとおった風ばかり——死を前にした澄んだまなざしが胸を打つ。
農民芸術概論綱要
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
「序論」の一節。自分だけの幸福を世界全体から切り離さず、人々の生活と芸術をともに考えようとする賢治の姿勢を、まっすぐに示している。