太宰治の名文
太宰治の作品から、よく知られた一節を集めました。
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帰去来
人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。
太宰『帰去来』の書き出し。世話になった恩人たちへの感謝と、それに報いられない自分への負い目を、率直に語り始める。
列車
番号からして気持が悪い。一九二五年からいままで、八年も経っているが、その間にこの列車は幾万人の愛情を引き裂いたことか。
太宰の初期作『列車』の一節。上野発青森行きの列車に、別れの悲しみを背負わせて語る。友人の恋の顛末へと続いていく。
魚服記
本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。
太宰治『魚服記』(1933年)の書き出し。地図にも載らない北の山並みを、義経伝説を交えて語り起こす。民話のような語りの中で、炭焼き小屋に暮らす少女スワの物語が始まる。
思ひ出
黄昏のころ私は叔母と並んで門口に立つてゐた。叔母は誰かをおんぶしてゐるらしく、ねんねこを着て居た。その時の、ほのぐらい街路の靜けさを私は忘れずにゐる。叔母は、てんしさまがお隱れになつたのだ、と私に教へて、生き神樣、と言ひ添へた。いきがみさま、と私も興深げに呟いたやうな氣がする。それから、私は何か不敬なことを言つたらしい。叔母は、そんなことを言ふものでない、お隱れになつたと言へ、と私をたしなめた。どこへお隱れになつたのだらう、と私は知つてゐながら、わざとさう尋ねて叔母を笑はせたのを思ひ出す。
太宰治『思ひ出』(1933年)の書き出し。明治天皇が亡くなった夕暮れを、幼い日の最初の記憶として描く。知っていながらわざと尋ねて叔母を笑わせる子どもの姿に、のちの太宰の道化の芽がすでにのぞく。
葉
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
連作形式の初期作品の書き出し。死を思う重い一行が、贈られた夏物の着物という些細なきっかけで「夏まで生きていようと思った」へと転じる。太宰の文体の妙が凝縮された冒頭。
撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり
第一創作集『晩年』の巻頭作に掲げられたヴェルレーヌの詩句。選ばれた者の陶酔と不安を併せ持つ、太宰文学の自意識を象徴する言葉として知られる。
彼は昔の彼ならず
君にこの生活を教えよう。知りたいとならば、僕の家のものほし場まで来るとよい。其処でこっそり教えてあげよう。
『彼は昔の彼ならず』の書き出し。読者に「君」と呼びかけ、ものほし場へ誘う語りの趣向で、借家人・青扇の物語へ引き込む。
みんなみんな昔ながらの彼であって、その日その日の風の工合いで少しばかり色あいが変って見えるだけのことだ。
変わり者の青扇に期待を寄せては裏切られた語り手の述懐。表題を裏返したような言葉で、人間への見方を苦く言い表す。
それなら君に聞こうよ。空を見あげたり肩をゆすったりうなだれたり木の葉をちぎりとったりしながらのろのろさまよい歩いているあの男と、それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。
作品の結びで、語り手の「僕」が友に突きつける問い。家賃も払わずに暮らす店子の青扇を眺めてきた「僕」が、自分も彼と変わらないのではないかと問い返す。
道化の華
「ここを過ぎて悲しみの市。」
作品の書き出し。ダンテ『神曲』の地獄の門の銘を踏まえた一句で、心中に失敗して生き残った青年の物語へ、読者を悲しみの市の門からいざなう。
ああ、なぜ僕はすべてに斷定をいそぐのだ。すべての思念にまとまりをつけなければ生きて行けない、そんなけちな根性をいつたい誰から教はつた?
物語の途中に作者自身が顔を出して語る一節。すべてに結論を急ぐ自分を問い詰める声が小説の枠を破って読者に届く、初期太宰の実験的な手法を示す。
ダス・ゲマイネ
恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。
太宰治『ダス・ゲマイネ』(1935年)の第一章「幻燈」の書き出し。「当時、私には一日一日が晩年であった」という一行に続く、短く言い切った告白。身構えることに慣れた青年が、手放しの恋に落ちたと打ち明ける。
川端康成へ
小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。
第一回芥川賞の選評で「作者目下の生活に厭な雲ありて」と書かれた太宰が、選考委員の川端康成に宛てた抗議文。怒りをむき出しにした短い言葉に、受賞への執着と傷つきやすさがにじむ。
満願
ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。
三年前に胸を病んだ夫の回復のため、医者から辛抱を言い渡されていた若い妻に「おゆるし」が出た朝の姿。原稿用紙数枚の掌編を、白いパラソルの一瞬が鮮やかに締めくくる。
富嶽百景
富士には、月見草がよく似合ふ。
御坂峠へ向かうバスで見た一輪を思い返しての一句。巨大な富士に小さな月見草を対峙させ、けなげな生の側に立ってみせた太宰随一の名文。
富士は、やつぱり偉い、と思つた。よくやつてる、と思つた。
月見草の場面と並んで知られる一節。宿の窓から黙って立つ富士を眺めた「私」が、揺れ動く自分の愛憎を恥じ、富士の偉さを素直に認める。
黄金風景
私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。
物語の結び。子供の頃にいじめた女中のお慶が、今も自分を慕い、誇らしげに褒めているのを耳にした「私」の独白。敗北を「いいことだ」と受け入れる言葉に、再生への祈りがこもる。
女生徒
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。
少女の一日を一人称でつづった作品の書き出し。読者へ話しかけるような軽い口調のまま、揺れ動く内面の独白へと続いていく。
幸福は一夜おくれて来る。
一日の終わりに床へ倒れ込んだ少女が、ふと思い出す言葉。幸福はいつも一足違いで訪れるという感覚が、作品全体に淡く漂う。
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。
一日の終わり、床に入る少女の独白。幸福は来ないと知りながら、それでも明日を信じて眠ろうとする、はかなくも健気な心が描かれる。
おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。
作品の結び。読者へ語りかけてきた少女の一日の独白は、王子のいないシンデレラという自画像と、軽やかな別れの言葉で閉じられる。
眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。汚ないものなんて、何も見えない。大きいものだけ、鮮明な、強い色、光だけが目にはいって来る。
朝、鏡台の前に座った少女の独白。眼鏡を外してかすんだ世界を「すばらしい」と感じる感覚に、この作品の瑞々しい語りの魅力が詰まっている。
葉桜と魔笛
桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。
老夫人が三十五年前の出来事を語り始める書き出し。病で死の迫った妹と、どこからか聞こえてきた口笛の思い出が、葉桜の季節とともに呼び起こされる。
畜犬談
私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰いつかれるであろうという自信である。
犬嫌いを大真面目に論じる随筆風小説の書き出し。「自信」の一語を裏返して使う語り口に、太宰の可笑しみが凝縮されている。
ア、秋
秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。 夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。
太宰治『ア、秋』(1939年)より。詩人が「秋」の部のノートをめくるという趣向で、秋は夏と同時に来ると書きつける。夏のうちに秋の気配を見破る感覚の鋭さを、軽妙な語りに包んだ小品。
駈込み訴え
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
ユダの告発を一人称の独白だけで押し切る冒頭。息せき切った短文の連打が、愛と憎しみの裏返しをそのまま音にしている。
私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。
独白の最後で語り手が自らの名を明かす結び。誰の告白だったのかが、ここで初めて読者に突きつけられる。
善蔵を思う
――はっきり言ってごらん。ごまかさずに言ってごらん。冗談も、にやにや笑いも、止し給え。嘘でないものを、一度でいいから、言ってごらん。
『善蔵を思う』の書き出し。自分の内なる声と問答する形で、嘘と本当の間で揺れる作家の自意識をむき出しにする。
この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
作品の結び。庭の薔薇を前に、ささやかな幸福を噛みしめる語り手の言葉。「心の王者」という言い方が印象に残る。
走れメロス
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
物語の幕開けを告げる書き出し。理屈より先に走り出すメロスの一本気な人物像を、一息に描き出す。
勇者は、ひどく赤面した。
走り抜いた末に少女からマントを渡され、裸だと気づく最後の一行。英雄譚を人間の可笑しみで着地させる。
それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。
もう間に合わないと止めるフィロストラトスに、メロスが答える言葉。約束を果たすことを超えて、信頼そのもののために走る物語の核心が語られる。
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
約束どおり戻ったメロスと、彼を信じて待ったセリヌンティウスの姿を見た王の言葉。人を信じられなかった暴君が心を改める、物語の到達点。
私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。
一度は走るのをあきらめかけたメロスが、泉の水を飲んで再び立ち上がる場面。自らを叱咤するこの一語が、そのまま作品の題となっている。
口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。
捕らえられたメロスに暴君ディオニスが言い放つ言葉。人を信じられなくなった王の猜疑心が、この物語で試される「信実」と真正面から対立する。
「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、 「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
刑場で再会した二人が、互いの頬を殴らせる場面。一度でも相手を疑った自分を許さない潔さが、「信実」をめぐる物語のクライマックスを形づくる。
きりぎりす
おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。
売れっ子になるにつれて俗物に変わっていく画家の夫へ、妻が別れを告げる手紙の書き出し。一人の女性の語りだけで心理を描き切った、太宰の女性独白体の代表作の一つ。
ろまん灯籠
八年まえに亡くなった、あの有名な洋画の大家、入江新之助氏の遺家族は皆すこし変っているようである。
太宰『ろまん燈籠』の書き出し。物語の連作を楽しむ入江家の兄妹たちを紹介する、軽やかな語りが始まる。
――兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。
作中で入江家の兄妹を描いた短篇の書き出し。退屈すると皆で物語を書き継ぐ一家の気風を、一文で言い表している。
東京八景
人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。私は丙種合格で、しかも貧乏だが、いまは遠慮する事は無い。
太宰治『東京八景』(1941年)の終わり近く。出征する知人の父親の前で、気後れせずに大声で言葉をかけた場面に添えた一節。十年の東京生活の苦しみを、恥ではなく誇りの拠りどころとして言い直している。
十二月八日
きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手でも、嘘だけは書かないように気を附ける事だ。
太宰治『十二月八日』(1942年)の書き出し。太平洋戦争が始まった日を、作家の妻の日記という形で書く。百年後の読み手を思い浮かべる素朴な語りが、開戦の日の家庭の空気をそのまま伝える。
待つ
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。
戦時下、二十歳の娘が小さな駅のベンチで「誰か」を待ち続ける独白の書き出し。待っているものの正体が最後まで明かされないまま、不安と期待が静かに語られていく。
正義と微笑
微笑もて正義を為せ!
主人公の芹川進が日記の書き始めに掲げたモットー。少年らしい気負いと、それをすぐに自分で茶化してしまう含羞とが、この一句をめぐって生き生きと描かれる。
黄村先生言行録
とにかく黄村先生は、ご自分で大いなる失敗を演じて、そうしてその失敗を私たちへの教訓の材料になさるお方のようでもある。
山椒魚に凝って大損をした黄村先生の逸話の結び。とぼけた敬意をこめて先生を描く、太宰のユーモア小説の味わいがよく出ている。
右大臣実朝
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
平家琵琶を聞いた将軍実朝がひとりごとのように漏らしたと、近侍していた語り手が伝える言葉。作中で実朝の言葉は片仮名で書き分けられ、滅びを予感しつつ明るさを失わない実朝像を印象づける。
散華
大いなる文学のために、 死んで下さい。 自分も死にます、 この戦争のために。
アッツ島で玉砕した若い詩人・三田循司が、戦地から太宰に送った最後の葉書の言葉。作品全体がこの数行を書き留めるために書かれたと、太宰自身が作中で述べている。
津軽
私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。
故郷をめぐった紀行の結び。読者へ直に呼びかけて別れを告げる数行が、太宰作品でもっとも明るい後味を残す。
「ね、なぜ旅に出るの?」 「苦しいからさ。」
本編「巡礼」の書き出し。旅の理由を問われて「苦しいからさ」と答える軽妙な掛け合いに、故郷をめぐる旅へ向かう作者の屈託と照れがのぞく。
お伽草紙
性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。
昔話を語り直した連作の一篇「瘤取り」の結び。悪人の一人もいない物語でなぜ不幸が起こるのかという問いに、作者が答える言葉。
パンドラの匣
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
作品の結び。どう生きればよいかは植物の蔓に聞けばよいとして、その答えとして置かれた言葉。戦後の若者へ向けた、ほのかな希望の一行。
人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。
敗戦直後、結核療養所「健康道場」から友人へ書き送る手紙の一節。パンドラの匣の底に残った希望になぞらえて、どん底でも希望の糸を探り当てる人間の強さを明るく語る。
苦悩の年鑑
時代は少しも変らないと思う。一種の、あほらしい感じである。
戦後に書かれた『苦悩の年鑑』の書き出し。世の変化を冷めた目で見る一言から、自らの思想遍歴の回想が始まる。
十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。そうして、やはり歴史は繰り返すのであろうか。私は、歴史は繰り返してはならぬものだと思っている。
自身の思想の変遷を年齢ごとに言い表した一節。短い言葉の並びに、戦後の太宰の屈折した心境がにじむ。
冬の花火
負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。
戯曲『冬の花火』の幕開きで、津軽の実家に身を寄せる数枝が父に向かって言う台詞。敗戦を「滅亡」と言い切る強い言葉で劇が始まる。
清蔵さん、あなたもあたしも、いいえ、日本の人全部が、こんな、冬の花火みたいなものだわ。
季節はずれの線香花火を灯しながら数枝が語る台詞。表題の「冬の花火」に、戦後日本のむなしさを重ねた場面である。
トカトントン
背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞えました。
敗戦の日、死を覚悟した青年の耳に届いた釘を打つ音。以後この音を聞くたびに一切の情熱が白々しく消えてしまう、戦後の虚脱を象徴する場面。
ヴィヨンの妻
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
放蕩を重ねる夫にさち子が返す最後の言葉。世間の道徳をまるごと引き受けたうえで、それでも生きることを選ぶ太宰後期の到達点。
父
義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。
太宰『父』の書き出し。アブラハムがイサクを献げようとした創世記の話から、家庭を顧みない「義」と父親であることの苦さへ筆を進める。
その義とは、義とは、ああやりきれない男性の、哀しい弱点に似ている。
『父』の結び。説明しきれない「義」のために地獄へはまり込んでいく自分を、哀しい弱点と言い当てる太宰らしい自嘲である。
斜陽
人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
「恋と革命のために生れて来た」と言い切るかず子の一句。没落貴族の家に生きる女の情熱を凝縮した、斜陽の核心。
けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
上原へ宛てたかず子の手紙の結び。私生児を産む決意を、古い道徳への闘いの宣言として言い切る。
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、 「あ」 と幽かな叫び声をお挙げになった。
作品の書き出し。スープを吸う優雅な仕草と小さな叫び声から、没落してゆく貴族の母の気品と、物語全体を包む不安な予感が立ち上がる。
僕は、貴族です。
自ら命を絶った弟・直治の遺書の結び。民衆に交わろうとして果たせなかった青年が、最後に自分の出自を言い切る、痛切な一行。
不良でない人間があるだろうか。
直治のノート「夕顔日誌」の一節。まともさを装う世間への反発と、自らの頽廃への居直りが入り混じる、直治の心の叫び。
爵位があるから、貴族だというわけにはいかないんだぜ。爵位が無くても、天爵というものを持っている立派な貴族のひともあるし、おれたちのように爵位だけは持っていても、貴族どころか、賤民にちかいのもいる。
弟の直治がかつて姉のかず子に語った言葉として、冒頭近くで回想される一節。爵位という身分と人としての気品とを切り分けるこの見方が、没落してゆく一家の「最後の貴族」である母の姿を際立たせる。
僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
直治が遺した「夕顔日誌」の一節。演じた姿ばかりが信じられ、本当の苦しみだけが演技と見なされる——道化を演じる者の孤独を、畳みかける反復で描く。
如是我聞
一言で言おう、おまえたちには、苦悩の能力が無いのと同じ程度に、愛する能力に於ても、全く欠如している。おまえたちは、愛撫するかも知れぬが、愛さない。
志賀直哉ら文壇の大家に向けて、死の直前まで書き継がれた激しい反論の一節。苦悩する能力と愛する能力とを重ねる言い回しに、太宰が文学に求めたものが率直に表れている。
桜桃
子供より親が大事、と思いたい。
死の年に発表された短篇の書き出し。家庭を持て余す父親の弱さを、言い切らずに「思いたい」と濁すところに太宰らしい自己韜晦がある。
生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。
家庭の重圧に追いつめられた「私」の独白。冒頭の「子供より親が大事、と思いたい」と響き合い、生きることの苦しさを鎖と血の比喩でむき出しに言い切る。
人間失格
恥の多い生涯を送って来ました。
主人公・大庭葉蔵の手記の書き出し。以降の告白全体を貫く自己否定の調子を、この一文が決定づける。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。 ただ、一さいは過ぎて行きます。
手記の結びに置かれた一句。幸も不幸も等しく流れ去るという諦念が、葉蔵の長い告白の到達点として示される。
神に問う。無抵抗は罪なりや?
脳病院へ入れられた葉蔵の問い。抗わずに流されてきた自分の一生を、たった一行で神の前へ差し出す。
そこで考え出したのは、道化でした。 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
人間の営みが理解できず恐れていた葉蔵が、幼い頃に編み出した処世の方法。道化によってかろうじて人とつながろうとする、主人公の生き方の原点。
人間、失格。 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
脳病院に入れられた葉蔵が、自らに下す宣告。作品の題名がそのまま現れる一節で、手記はここから静かな結末へと向かう。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
「世間が、ゆるさない」と言う友人堀木を前に、葉蔵が抱く疑問。このあと「世間というのは、君じゃないか」と続き、世間の正体を個人に見る視点が示される。
弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。
自分を愛してくれる女性との幸福から逃げ出そうとする葉蔵の心理。幸福さえ受け止めきれない臆病さを、「綿で怪我をする」という比喩で言い表す。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
作品の最後の一行。手記を託されたバーのマダムが葉蔵を振り返る言葉で、自らを「人間失格」と断じた男を、他者の目から優しく救い上げて終わる。
ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
堀木との関係を振り返りながら葉蔵が漏らす言葉。親友と思い込んだまま互いを誤解して一生を終える人間の姿に、他者と通じ合えない葉蔵の絶望が表れている。
グッド・バイ
文壇の、或る老大家が亡くなって、その告別式の終り頃から、雨が降りはじめた。早春の雨である。
太宰治『グッド・バイ』(1948年)の書き出し。作者の死によって未完に終わった最後の小説で、告別式の帰り道から軽妙な喜劇が始まる。愛人たちと別れようとする編集者の話を、乾いた調子で語り出す一行。